Vol.018 粕川 哲男「ミスター・アルディージャの熱い思い」【オフィシャルライター「聞きたい放題」】

クラブオフィシャルライターがいま、気になる人や話題について切り込む本コーナー。今回は、8月27日にトップチームのフィジカルコーチに就任したクラブOBの岡本隆吾コーチにお話しを伺いました。



Vol.018 粕川 哲男

ミスター・アルディージャの熱い思い

練習生としてNTT関東に

――大宮アルディージャのルーツであるNTT関東に入社されたのは、1996年ですね。
「はい。教員を志望していたので日本大学で体育の教員免許を取って、その道に進もうと思っていました。ただ、大学で自分なりにサッカーをやったなかで、やはり続けたいという気持ちが強くなって、どういうチームだったら自分を試せるか、挑戦できるかを考えて、佐々木(則夫)さんにお世話になる形で練習生として参加させてもらいました」

――当時JFLに参戦していたチームに自分からアプローチしたのですか?
「チームから声を掛けてもらったわけではなく、大学4年生のときに『練習に参加させてもらえませんか』と頼みました。当時JFLを戦っていた東京ガスさん(現・FC東京)とか富士通川崎さん(現・川崎フロンターレ)にも話を聞いていただき、最終的にNTT関東に決めることができたので、すごく感謝しています」

――ゆくゆくはプロという思いもありましたか?
「いや、働きながらサッカーを真剣に、一生懸命にやりたいと思っていました。そういうチームでできたら一番いいな、と」

――会社員としては、どのようなお仕事を?
「NTTなので、電話工事の受付の統括というか、故障に関する受付をまとめる部署でした。オフ期間には外回りの営業や受付センターにも行って、実際にお客さんと話をする機会もありました。3年間は、そんな感じで仕事を続けました」

――ピッチに目を移すと1年目からJFLで出場機会をつかみ、3年連続全試合出場という結果を残しました。早くから手応えはあったのでしょうか?
「手応えなんて、全然ありませんでした。まずは、自分がこのチームでサッカーができること自体が信じられないというか、一番下からのスタートという思いでしたから。本当にギリギリで入らせてもらって、必死になってみんなについていく感じだったので、試合に出られるんだと驚いた記憶があります」

――入社3年目の1998年に大宮アルディージャが誕生しました。プロ化への流れ、当時の盛り上がりなどは覚えていますか?
「現役時代は本当にプレーすることに必死だったので、そこまで気づきませんでしたけど、引退してから大宮で新たにチームを立ち上げることの大変さに思いが至りました。ホームタウンの方々が、どれだけの情熱を注いで努力してくれたのか、あとで気づかされました。プロ化と同時に社員選手としてサッカーに専念できるようになったわけですが、僕たちを支えてくれる方々の努力を無駄にしないためにもひたすらアルディージャのために戦う、といった意識は、プロ化によってより強く感じるようになりました」

――特に覚えている試合はありますか?
「いやぁ、だいぶ前の話なので……。自分が得点を決めた試合も覚えていますが、やはりホームでの開幕戦ですかね。1999年3月のコンサドーレ札幌戦。J2で初めて、大宮公園のピッチに立った試合が一番印象に残っています。すごい声援、背中を押してもらう感覚、見られてサッカーをする喜びとは、こういうことなんだと感じた瞬間でした」



‟ひたむきさ”が信条

――その後の活躍で「ミスター・アルディージャ」と呼ばれるようになったわけですが、どのようなポリシーがありましたか?
「自分らしさを出すことを考えたとき、どんなときでも立ち上がる、苦しくても痛くても立ち上がるといった部分は、自分がチームのなかで一番出さなくてはいけないというのは、日頃から感じていました。そういう部分では絶対に負けないという自覚と責任感を持って、背負いながらプレーする感じでした」

――「ミスター」という称号は、サッカーがうまいだけではつかないものだと思います。いつの時代も、そうした選手の存在が成績につながるのではないでしょうか。
「うんうん、なるほど。確かに人間性というか、その人が醸す雰囲気や信頼度というのは、すごく大事だと思います。サッカーのうまさではなく、みんなから信頼を得られるような力を発揮できるかどうか。そこですよね。僕自身そこまで自信はありませんでしたけど、とにかくひたむきに、真面目に闘う。それは、このチームの色でもあると思うので、どの試合でも闘う姿勢を表現しないといけないという意識はありました。それを自然と出せるところが“大宮らしさ”であり、自分らしさでもあったのかなと思います」

――岡本さんの引退後にスタジアムが新しくなり、クラブハウスが新しくなり、どんどん環境が良くなっていきました。現役の頃、大変だったと思い出すことはありますか?
「みんなで重いゴールを運んだり、自分でウエアを洗ったりしていました。本当は自分でやることなんですけど、環境が整ってくるとサポートしてくれる人が出てきます。それと練習場は本当に転々といろいろなところへ行きましたが、それもスタッフが芝生を探して、準備してくれていたわけです。選手は、そうした方々の気持ちをわからないといけない。自分がサッカーをできたり、コーチをできたりするのは、そういう人たちの支えがあり、助けてもらえているからだということを忘れてはいけない。日頃からその人の立場に立って、挨拶とか感謝の気持ちを示すべきです」

――志木のグラウンドは水没して使えなくなるなど、大変でした。
「結局、僕もコーチになってから水没を経験して、グラウンドを改修しないといけない、ゴールを買わないといけない、倉庫を新しくしないといけないという立場に立って初めて、当時の大変さに気づけました」

――あって当たり前のものの大切さは、なくして初めて気づくようなところがあります。
「そうですね。でも、そういうところを選手もスタッフも感じながらやらなきゃいけない。周りに対する感謝の気持ち、それがきっと自分の力、チームの力、チームがひとつになることにつながっているはずですから」

――こんなところは良かったという点は?
「社員だったので、仕事仲間が応援に来てくれて、練習や試合後に一緒に食事しようとか飲み会しようってことが普通にありました。それはそれですごく一体感があったというか、いい時代だったと思います。プロ選手はサッカー選手との結びつきが強いと思いますが、僕自身は違う世界の方々との触れ合いのなかで勉強したことが多いので、そういうところも大事ではないかなと思います」

――引退後、監督やコーチとなる方は多いですが、より専門的なフィジカルコーチの道に進んだ理由を教えてください。
「理由は2つあります。1つは、もともと体育の先生になろうと思っていたこともあり、体を動かすこと自体に興味がありました。コーチとか監督を目指すにしても、そういう知識を持ったうえで、サッカーの技術や戦術を学びたかったんです。もう1つは、本人は覚えてらっしゃらないと思うんですが、佐久間悟さん(現・ヴァンフォーレ甲府社長)が『隆吾だったら、フィジカルコーチをやった方が絶対いいよ』と、ポロっと言ってくれたことがあったんです。指導者として生きていくうえで自分の良さを出せる、自分の特長を思い切って出せるのはフィジカルコーチかもと気づかされたので、その道を選びました」


フィジカルコーチ就任の経緯

――シーズン終了まで残り3カ月となってのトップチームのフィジカルコーチ就任ですが、どのような経緯で決断されたのでしょうか?
「経緯というか……チームが上に上がるしかないという状況(就任が発表された8月27日時点の順位は21位)で、当初の目標からは外れますが、とにかく残留しないといけないなか、『チームの雰囲気を上げてほしい』『選手たちのコンディションを整えたうえでゲームへの準備を進めてほしい』というリクエストを受けました。急な話だったので驚きましたが、すぐに『やります』と返事させてもらいました」

――迷いはありませんでしたか。
「やはり、トップチームがあってのアルディージャなので、トップチームが元気でなければみんな元気がなくなる。そういう状況にしたくなかった。少しでも力になりたい、選手やスタッフを後押ししたい、クラブのために力を尽くしたいという気持ちでした」

――やはり、「ミスター・アルディージャ」が現場に必要だったのだと思います。
「どうなんですかね。そのへんはわからないですけど、勢いというか、チームをどうにか元気づけたかった。フィジカルどうこうの前に、まずはみんなを元気づける。ピッチ上で選手たちが伸び伸びと、思い切ってプレーできる状況にしたいという思いがありました。当然、他のスタッフも苦労して、全力でやっているなか、そこにプラスして自分が何か力になれたらいい。いまもその思いだけでピッチに立っています」

――トップチームで初めてお仕事されているわけですが、やはり刺激はありますか?
「結果と隣り合わせのシビアな世界で、ちょっとしたことでケガにつながったり、調子の良さにつながったりするプロの厳しさを実感しています。貪欲にならないといけないし、勝負にこだわらないといけない環境は、すごく刺激になります。ワンプレー、ワンプレーの大事さ、重要さはアカデミーでは感じられないところもあるので、そうした熱い現場にやり甲斐を感じています。もちろん、全員の力をひとつにして結果につなげていく、その難しさも感じているところです」

――今シーズンを、どのように締めくくりたいですか?
「一戦一戦だと思うので、先を見ることなく次の試合に向けていかに良い準備ができるか。闘う気持ちを持って試合に臨めるか、そこを後押しするのが大事になってくると思います。1試合1試合、勝点を地道に積み上げる作業をしていくしかない。これは選手にも言ったことなんですけど、最終節のザスパクサツ群馬戦の当日が僕の誕生日なんですよ。これは運命だと思って、みんなで12月5日まで戦い続けようと言っているので、最後まで諦めず闘いたいと思います」

――いい誕生日になりますように応援しています。
「そうですね(笑)。頑張ります」




粕川哲男(かすかわ てつお)
1995年に週刊サッカーダイジェスト編集部でアルバイトを始め、2002年まで日本代表などを担当。2002年秋にフリーランスとなり、スポーツ中心のライター兼エディターをしつつ書籍の構成なども務める。2005年から大宮アルディージャのオフィシャルライター。

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