Vol.045 岩本 勝暁 「31歳。円熟の域へ」【ライターコラム「春夏秋橙」】


ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”するオフィシャルライター陣の視点でお届けします。


Vol.045 岩本 勝暁
31歳。円熟の域へ

その日は、荒川沿いにある志木のクラブハウスで、新年度を迎えたユースの選手たちの顔写真の撮影が行われていた。すりガラスを通して、春の陽光が降り注いでいたことを覚えている。

10年以上も前のことだ。同じ部屋の一角で、ユースの監督をインタビューする予定だった。背もたれのない椅子に深めに腰をかけて、監督が来るのを待っていた。

そこに、撮影を待つユースの選手たちが長い列を作った。慣れない大型ストロボの光に驚いたり、カメラのレンズに真剣な顔を向けるチームメートをおどけた仕草で笑わせたり――。質問事項を書いたノートに目を落としながら、そんな彼らの様子を視界の端にとらえていた。

ふと、一人の選手の脚が目に入った。ゾクッとした。丸太のようなたくましい太腿だったからだ。膝の上には、ゴツっとしたコブのような筋肉がついていた。おそらく、ウェイトトレーニングだけで培った筋肉ではない。何千回、何万回とボールを蹴ってきたのだろう。背番号は「10」。イタリアの至宝と称えられたロベルト・バッジョを想起させた。  

渡部大輔だった。

その年のJユースカップで13ゴールを挙げ、得点王に輝いた。裏に抜けるスピード、シュートセンス、何よりチームのために汗をかける献身性の持ち主だった。

2008年、トップチームに昇格。しかし、当初はケガとの戦いだった。FWとして登録された1年目は骨折で、シーズンのほとんどを棒に振った。翌年のイヤーブックでは「ケガを克服してからの日々が大きな財産になり、サッカーができる幸せに気づいた」と語っている。

一つの転機は2011シーズンだ。ポジションをDFにコンバート。抜群の運動量と攻撃力が存分に生かされた。シーズンの途中で負傷離脱という不運はあったものの、このころから右サイドバックが彼の定位置になっている。

そして、背番号を「13」に変えた2015シーズンは30試合に出場。チームのダイナモとして、J2優勝、一年でのJ1復帰に貢献した。

どちらかというと、ミックスゾーンでの口数は多くない。まるで求道者のように、淡々とかつ的確に言葉を紡ぎ出すタイプだ。2019シーズンは開幕戦のピッチに立った。3-4で敗れた第2節・FC琉球戦ではゴールも決めている。

試合後、テレビカメラの前に立った渡部は、「内容はどうあれ、勝つことをチーム全体の目標にしてやっていきたい」と振り返った。勝てなかったことを悔やみつつ、自身の得点については「カウンターがチャンスになっていたので、思い切ってゴール前まで行きました」と言うに留まった。

第12節・愛媛FC戦で負傷した。新加入選手の台頭もあった。それでも、復帰した第34節・V・ファーレン長崎戦のインパクトは大きかった。78分に途中出場すると、わずか4分後にゴール。右足で切り返し、素早く左足を一閃した。相手に当たったボールはふわりと浮いて、GKの頭上を越えていった。試合を決定づける1点を奪い、両手の拳を高々と突き上げた。

アルディージャ一筋だ。昨シーズンで金澤慎が引退し、アカデミー出身選手の中では最年長になった。ユース1期生の金澤が歩んできた道のりがそのままアルディージャの歴史に当てはまるなら、Jr.ユース1期生の渡部のキャリアもまた、クラブの歴史に深い足跡を刻んでいると言えよう。

今日、2020年4月19日で31歳になった。今シーズンの開幕戦はベンチから外れたが、ピッチの上で輝く姿を見続けたい。円熟味を増すのはこれからだ。

岩本 勝暁 (いわもと かつあき)
2002年にフリーのスポーツライターとなり、サッカー、バレーボール、競泳、セパタクローなどを取材。2004年アテネ大会から2016年リオ大会まで4大会連続で現地取材するなど、オリンピック競技を中心に取材活動を続けている。2003年から大宮アルディージャのオフィシャルライター。

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