【ライターコラム「春夏秋橙」】ポテンシャルの高さに疑いなし。爆発のときを待つ大型ストライカー

ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”する記者の視点でお届けする本コーナー。今回は、7月19日にヴァンフォーレ甲府からの加入が発表されたファビアン・ゴンザレス選手について、昨年まで3年間所属していたジュビロ磐田時代に取材をしていた、森亮太記者に紹介してもらいました。

【ライターコラム「春夏秋橙」】森 亮太
ポテンシャルの高さに疑いなし。爆発のときを待つ大型ストライカー


アンリに憧れた幼少期

愛称は“ラッソ”。コロンビア出身のストライカーは、家の近所にゴンザレス姓が多かったため、子どものころから“ラッソ”という呼び名で親しまれてきた。

子どものころのスターは、プレミアリーグのアーセナルで活躍した元フランス代表のティエリ・アンリ。「スピードや1対1、賢さ、あとはゴールをたくさん取っていた」ところに憧れを抱き、Tシャツにアンリの名前と背番号を自ら書いて、よく遊んでいたという。

プレースタイルにも共通点がある。相手DFの背後へ抜け出すスピードと当たり負けしないフィジカルをベースに、187cmの長身を生かしてクロスのターゲットになれる。何よりも、1対1の局面では個人で打開できる突破力が魅力的だ。そのドリブルについては、「アンリの動画をよく見て真似していたので、自分自身としても似せているところはある」と本人は言う。長身ながらも柔らかいボールタッチは、崇拝するストライカーと共通するポイントだ。

J2得点王の影に隠れた1年目

そんなスケールの大きさを感じるプレースタイルと、ピッチにいるだけで相手に脅威を与える存在感に、磐田時代から“何かやってくれそう”という期待感は常にあった。

だが、磐田で過ごした3シーズンは決していい時期ばかりではなかった。鈴木政一監督(2021年)、伊藤彰監督(2022年)、横内昭展監督(2023年)と磐田在籍時に3人の指揮官の下でプレーし、皆が個人としてのポテンシャルの高さを高く評価していた。だが、この3年間でスタメンには定着し切れなかった。

磐田加入が決まった2021年は、シーズン開幕前に合流する予定だったが、コロナ禍による外国籍選手の入国制限のため、開幕後もチームに合流できなかった。加入発表から約3カ月遅れてチームに合流するという不運も重なったが、同じポジションに現在、湘南で活躍するルキアンが1トップとして君臨。J2得点王に輝くほど絶対的な存在だったため、リーグ戦には19試合に出場したものの、先発はわずか1試合。なかなか序列を覆せない時期が続いた。

能力の片鱗を見せた2年目

初めてプレシーズンからチームに合流した2022年は、同じポジションに杉本健勇がいたため、シーズン開幕当初は“切り札”としての立ち位置が続いた。だが、チームは2シーズンぶりに帰ってきたJ1で思うように勝点を積み上げられずに大苦戦。そんな現状を打破する一手として、この男に出番が回ってきた。

2022年J1第13節・FC東京戦で初スタメンのチャンスをつかむと、ゴールという結果は残せなかったが、連敗を止める3試合ぶりの勝利に貢献した。この試合は、1トップにファビアン・ゴンザレス、2シャドーの一角に杉本という、二人のストライカーが共存する形を採用し、守備時は[3-4-2-1]の布陣、攻撃時に[3-5-2]に可変する形が機能したことでつかめた結果でもあった。

この試合で上原力也がマークした先制点の場面は、二人の共存がいい形で現れたシーンだった。当時の磐田は、右ウイングバックの鈴木雄斗からのクロスを強みとしており、そのターゲットが2枚になることで当時チームを率いていた伊藤彰監督は、より攻撃に厚みが生まれると考えていた。

「右サイドのクロスでラッソの背中から健勇が入っていけば、相手の脅威になると思っていた。先制点の場面もラッソが中央にいて、後ろから健勇が入ってきたことで、相手DFラインが下がったスペースに力也が入ってきて生まれたゴールだった」(伊藤彰監督)。


再びチームメイトとして大宮で再会することになったファビアン・ゴンザレスと杉本を共存させていく上で、今後の大きなヒントになるだろう。

この活躍を機にしばらく試合に絡む機会が増え、中断明けの第17節・サガン鳥栖戦では2ゴールの活躍をマーク。チームの救世主として最も大きな希望を抱かせた試合だった。だが、その後にグロインペイン症候群を患い、チームの練習からも離脱。最も輝いていた時期に厄介な負傷に悩まされた。そこから1カ月ほどで戦列に復帰したものの、自身の状態が万全となる前に、ようやく信頼を勝ち取り始めていた伊藤彰監督が解任。タイミング的にもここからという時期だっただけに、本人の中でも悔しさを募らせるシーズンだった。

トラブルに見舞われた時期もひたむきにプレー

また同年のシーズン終盤には磐田に加入する際にタイのクラブと契約を結んでいたことが判明し、FIFAからチームとしては新規選手登録の禁止、個人としては4カ月間の公式戦出場停止という重い処分を下され、シーズンを跨いで半年以上の期間、試合に出られないというキャリア最大の苦境にも立たされた。

だが、そうした時期もひたむきに、そして前向きに取り組んだ。プロサッカー選手として試合に出られない状況下でモチベーションを保つのは決して簡単なことではない。だが、本人はこの時期を成長の糧とした。

「仲間が出られている時期に、自分が出られないのは大変な思いだった。ただメンタルを落ち着かせながら周囲からの声に惑わされないように、乱されないように練習してきた。そこは自分の成長につながったと思います。出られない時期もフィジカル練習は続けてきたので、さらに強くなれたと思っています」

そうした姿を見守ってきた横内昭展監督は、「ラッソは試合には出られないが、ミーティングもしっかりと話を聞いているし、対戦相手を想定したゲームをするときも、相手チーム側でいっさい手を抜かずにやってくれていた」と、ひたむきな姿勢を高く評価していた。

磐田で過ごした3年間は苦しんだ時期のほうが長かったかもしれない。だが、ピッチ上では圧倒的なポテンシャルで期待感を抱かせ、何よりも明るく、無邪気な性格でファン・サポーターからは常に期待されてきた。

また日本語を勉強し、取材時には「お疲れさま」や「ありがとう」といった簡単な日本語での挨拶も欠かさず、キャンプ中の食事ではナイフやフォークは使わず、お箸で食事するなど、日本の文化にも積極的に馴染んできたという一面もある。

ポテンシャルの高さに疑いの余地はない。だが、決して器用な選手でもない。どちらかと言えば、周囲の選手と連係を育むのは苦手なタイプだ。サポートする仲間たちがスピードやフィジカル、高さといった身体的な強みを理解し、能力を最大限引き出してあげられるかが活躍するための最大のポイントだ。「ラッソは強みと弱みがあるので、それをみんなが理解しながらプレーしてあげることが必要になる。ただその強みを引き出せれば、間違いなく、相手の脅威になる」(山田大記)。

新天地の大宮でそのポテンシャルを花開かせ、無邪気な笑顔で喜びを爆発させるラッソの姿を期待している。

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