【聞きたい放題】泉澤仁×石川俊輝 同学年対談

選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は、シーズン中断期間のタイミングで、泉澤仁選手と石川俊輝選手の同学年コンビに話を聞きました。じつはあまり知られていない“ゼロヒャク”誕生の瞬間が明らかに!

聞き手=戸塚 啓


ともにJ通算250試合出場を達成

──石川選手は6月22日のFC琉球戦で、Jリーグ通算250試合出場を達成しました。泉澤選手は7月6日のアスルクラロ沼津戦で達成しました。
泉澤「何か特別な感情がわき上がった、ということはなかったですね。自分の中では遅かったかな、という感じで。プロ1年目、2年目、3年目と試合に出ていたので」

石川「プロ入り当初から考えても、ここ数年はケガとかレンタル移籍とかがあったことを考えても、ちょっと現実味を持ちにくかった。行けたらうれしいかな、という数字でした」

──チームは好調を維持したまま中断期間を迎えました。
石川「練習の中から、勝負に対する貪欲さ、勝つためにどういうプレーをしたらいいのか、というのが出ていると思います」

泉澤「練習中の厳しさとかは、ホントにあると思う」

石川「結果が出ているからといって、もちろん油断をしちゃいけません。『これでいいだろう』とか『これぐらいでいいだろう』という気持ちが芽生えたら、その瞬間に崩れてしまいます」

泉澤「最後のところで体を張るとか、決め切るとかいうところは、J3リーグの中で抜けてるのかなと思います。でも、クラブのことを考えると、もっともっと内容にこだわっていかなきゃいけない」

石川「結果はともかく、ラクな試合は一つもないよね。周りの人たちは『大宮が勝つでしょう』と思うかもしれないけれど、どのチームも『大宮を食ってやろう』というモチベーションで挑んでくるのは、すごく感じるし。相手の勢いを受けるんじゃなくて、自分たちから勢い良く入っていこう、とみんなでいつも話しています」

昇格経験者はかく語る

──お二人とも、J2からJ1へ昇格した経験があります。
泉澤「僕は2015年のJ2で『J2優勝でのJ1昇格』を経験したけど、第10節ぐらいまではちょっと苦戦した印象がありました。けど、そこからは『勝てる』っていう雰囲気にチームが包まれていきました。メンバーもそろっていたし、J2を戦いながらJ1へ復帰して上へ行くぞ、という感じで戦術からこだわっていました」

石川「僕は2014年と2017年にJ2からJ1への昇格を経験しました。当時は試合に出ている、出ていないに関係なく、選手全員がうまくなりたい、(チームとして)強くなりたいという向上心にあふれていました」

泉澤「2015年の大宮も、練習から厳しくやっていました。だから、自信を持って試合に臨むことができて、試合中にプレッシャーを感じることがなかった」

石川「湘南で経験した雰囲気と、今年の大宮が似てきています。日々の練習から充実していて、一日、一日がすごく濃い。それは、監督の徹さんが作り出す雰囲気でもあるし、(濱田)水輝くんや(杉本)健勇が練習から手を抜かずにやる、ということを示してくれている。それは本当に大きいと思う。僕自身も湘南で、坪井(慶介)さんとか梅崎(司)さんがホントに手を抜かずにやっている姿勢を見て」

泉澤「自分が手を抜くわけにはいかない、ってなる」

石川「そう」

泉澤「自分が若いときは、そういうことは感じなかったな。経験のある選手たちは、うまく調整しているなあと思って見ていた(笑)。今こうして自分が年齢的に上になったけど、若い選手にはホントに伸び伸びやってくれたらと思ってる」

石川「そういうふうに言ってるけど、練習が終わったあとに若い選手とジョギングしたりしているよね。面倒見のいい一面もあるよ」

泉澤「いや、それも意識してやっていることじゃない。プレーの中の要求はするけどね。俊輝がキャプテンとしてチームをまとめてくれているから。キク(菊地光将)さんに似ているなって思う」

石川「えっ?」

泉澤「普段はどちらかと言えば静かなんだけど、サッカーになったらチームを代表して話したり、締めるところは締める。キクさんに似てるなって思いながら見てる」

石川「それ、一番うれしい言葉(笑)」

──残り15試合、ここからがいよいよ重要な局面になっていきます。昇格という目標をつかみ取るために、何が大事になりますか?
泉澤「難しい場面とか試合があるかもしれないですけど、やっぱり結果にこだわるということが一番大事。これまでやってきたことを、そのまま出していく。何かを変える必要はない。J2に戻ることだけを考えています」

石川「シーズンが始まったときからそうですけど、目の前の1試合に集中する。チームとしても、個人としても、アグレッシブにすべてを出し切る。選手、スタッフだけじゃなくファン・サポーターの皆さんも含めて一つになって、同じ方向を見て戦い続ける。先のことを意識し過ぎないで、目の前の1試合にどれだけ出し切れるかだと思います」

対照的な夏への意識

──ピッチ外のことも伺います。連日の猛暑ですが、コンディションの維持のために気をつけていることはありますか?
泉澤「もう、水分補給。きちんと水分を摂って、あとは当たり前のことをやるだけです。俊輝はもっと意識が高いでしょ」

石川「いや、そんなことはない。試合の前日に、経口補水系の飲み物を意識的に飲むぐらいかなあ。食べたいものも食べる。意識が高い選手は節制したりするけど、僕は食べたいものを食べる」

泉澤「そもそも、夏は好きなほう。相手のプレッシャーが緩くなるから、夏のナイトゲームはいい」

石川「そこは完全にプレースタイルの差が出るなあ。自分はプレッシャーに行きたいタイプだから、シーズン終盤の11月の15時とか16時キックオフの試合が一番いい。湘南でプレーしていた25歳ぐらいまでは、夏が好きだった。自分たちより相手のほうが走れなくなるとか、苦しそうな場面が多かったから。今はもう夏の試合は、あまり好きじゃないかな」

──石川選手は7月に33歳になりました。泉澤選手は12月に33歳になります。年齢を重ねてきて、自分の体が変わってきたと感じますか? 体のケアで気をつけていることはありますか?
泉澤「練習前後のケアは、常に入れるようにしています。2021年9月にアキレス腱断裂のケガをしてから、ケアを入れる回数は増えました」

石川「僕も去年のシーズンに肉離れをしてから、練習前後の準備とケアは変わりました。練習前の準備は、それまでよりも長くなった」

“ゼロヒャク”が生まれた瞬間

──1991年生まれの同級生ですが、普段から一緒に居たり、良く話したりするのでしょうか。
石川「話はそんなにしないかも」

泉澤「そうだね」

石川「いてくれるだけで心強い」

泉澤「俊輝だけじゃなくて、誰かと話すっていうことがあまりないんですよね。練習前にやることが決まっていて、クラブハウスに着いたらシャワーを浴びて、ケアしてもらって、ストレッチとかして練習って感じ。無駄な時間があるのがイヤだから、誰かとゆっくり話す時間的余裕はない(苦笑)」

石川「僕も練習の前後に誰かとゆっくり話す、というのはあまりないかな。カサくん(笠原昂史)とはご飯に行くことが多いので、話をすることは多い」

──あまり話をする機会がないのでしたら、せっかくなのでお互いに聞きたいことを、ぜひ。
石川「あのドリブル(※止まった状態から急加速する通称“ゼロヒャク”)はいつから確立されたの? 仁はレイソルのジュニアユースのときから有名だったけど、いつからあのドリブルになったのかは聞いたことがないから。湘南にいたときに天皇杯で対戦したことがあって、試合前の分析の段階で一人じゃ無理だ、二人で対応しようってことになったんだよ」

泉澤「大学2年の春ごろかな。地元に帰って仲のいい友だちと、公園でサッカーをしたんだよね。そのときに『これ、いいじゃん』みたいな感じで。大学へ戻ってやってみたら『うん、いいな』って。そこからどんどんやっていった」

石川「もっと早くからだと思った(笑)」

泉澤「それからJリーグのクラブに練習参加とかして、そこでさらに自信をつけていった、という感じ。僕から聞きたいのは、練習が終わったあとは何をしている? ってこと」

石川「今は子どもが夏休みだから、暑さが少し和らいだ時間に、長男と次男を公園へ連れて行ってる。長男はサッカーをやっているから、ボールを蹴ったりもして、もう疲れ果てるまで走らせる。子どもたちが夜、早く寝られるように。体力が有り余っていると、なかなか寝てくれないから(苦笑)」

泉澤「僕も休みの日は、子どもを連れて出掛けるようにしてる」

──最後に、シーズン後半戦への思いを聞かせてください。
石川「去年のシーズンは苦しい思い、悔しい思いを、サポーターの皆さん、パートナーのみなさん、僕たちを支えてくださっている皆さんにさせてしまったので、今シーズンこそはそういった感情じゃなく、うれしい思い、楽しい思い、笑顔になる思いを、1試合でも多く共有していきたいです」

泉澤「俊輝が全部言ってくれました(笑)。一試合ずつ大事にして、J2へ戻るという目標を達成したいです」


戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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