【聞きたい放題】南雄太引退試合開催記念 第1回 柏・熊本編

選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は12月21日(土)に行われる「南雄太引退試合」の開催を記念した「特別編」(計4回)として、出場が決まっているメンバーとの思い出やウラ話を、南氏本人に語り尽くしてもらいました。第1回は「柏レイソル、ロアッソ熊本編」です。

※選手名のあとの()内はともにプレーした期間(引退試合の出場メンバーのみ)

聞き手=戸塚 啓


柏の“キャプテン”大谷のすごみ

――今回の引退試合には、南さんのかつてのチームメートがたくさん集まってくれました。まずは1998年のプロデビューから2009年まで在籍した柏レイソルのチームメートから、ご自身とのつながりや現役当時の印象をお聞かせください。
「最初にタニ(大谷秀和/2003~2009年)から話すと、彼はサッカーIQが高い選手でした。非常にクレバーで、いつも冷静で、味方にするととても頼りになる存在でした。プレー面ではギリギリで判断を変えられる。それってすごいよなあと、いつも感心させられていました」

――大谷さんはキャプテンの印象が強いですね。
「ちょうど(2008年に)僕からタニへバトンタッチしたんです。彼はそれから引退するまで、ずっとキャプテンを務めましたからね。若手と呼ばれる年齢当時から、良い意味で若さを感じさせないというか、背中で見せられるような選手でした」

――李忠成さん(2005~2009年途中)、大津祐樹さん(2008~2009年)も出場します。GK目線で彼らを語ると?
「僕がレイソルに在籍していた当時は、二人ともまだ若かったんです。なので、まだまだ粗削りな部分があったのですが、チュンソン(李忠成)はとにかくFWらしい選手でした。『オレがやってやる』という気持ちも、負けん気も強かった。それから勝負強さみたいなものは、若いころから感じさせていました。苦しい試合とかここで勝たなければという試合で決めてくれる、というイメージは若いときからありました。なかなか試合に出られない時期もあって、その中でパッとチャンスをもらったところで得点して、そこから試合に出るようになったこともありました」

――記憶に刻まれるゴールが多い選手でしたね。
「たくさんの選手を見てきましたが、チャンスを生かせる選手がいれば、うまく生かせない選手もいました。FWについて言えば、ここっていうところで取れるかどうかは、その選手のキャリアが軌道に乗るかどうかの分岐点になると思うんです。そういうターニングポイントになるような試合で、チュンソンは取ってきていると思うんです。気持ちの強さやFWならではのエゴがある。それがやっぱり、ストライカーなんですよね」

――大津選手については?
「祐樹はプロ1年目からポテンシャルを感じさせました。とにかくスピードがあって、シュートのパンチ力がある。この選手は面白いな、と思っていました」

――その後のステップアップも、納得できるところがありましたか。
「もちろんそうですね。前線のポジションならどこでもこなせる選手でしたが、キャリアの終盤はボランチまでやっていましたからね。そもそも技術の高い選手でしたから、いろいろなポジションでプレーできたのでは」

キタジのヘディング技術はJリーグNo.1

――柏レイソルでプレーしたFWでは、北嶋秀朗さん(1998~2002年、2006~2009年)も出場します。
「キタジと言えば『クロスの入り方』が代名詞でしょう。ヘディングの技術は、僕が見てきたJリーガーの中でも一番高いと思います。“当て勘”が絶妙なんです。たとえば、ニアで合わせてちょっとスラすとか、そのちょっとが、まあホントにうまい。足がめちゃくちゃ速いとか、ジャンプ力がものすごくあるわけじゃないので、それは彼自身も分かっていたから、ポジション取りとかDFとの駆け引きには、ものすごくこだわっていました。『最後の最後まで変えられる』と、言っていましたから」

――ヘディングシュートのコースを変えられる、と?
「そうです。GKの動きをギリギリまで見て、最後にヘディングの方向を変えられる、と。GKからすれば厄介ですよ」

――右サイドからのクロスに飛び込む、というイメージが強いです。
「右SBの小林祐三のクロスに対して、ニアへ入って合わせるというシーンは何回も見ました。僕が(熊本に)移籍したあとに酒井宏樹(現オークランドFC/オーストラリア)が出てきて、彼のクロスに対してもそういう動きがあったと思います。左サイドからのクロスに合わせるのも、決して苦手ではないですよ」

――相手の警戒の上をいくのは、決して簡単ではないですが。
「そう、それです。相手のディフェンスも、キタジがニアへ入っていくのが得意なのは分かっている。ニアを消してきたら、その背中にスッと入るとか。『DFが首を振るのを待って、その瞬間に前を取る』とか言っていました。首を振った瞬間って、どうしても対応が遅れるらしいので、『その瞬間を待っている』と。そんなところまで考えているのか、と思いながら彼の話を聞いていました」

――北嶋さんなりの奥義ですね。
「大宮でキタジがコーチをやっていたとき(2020~2022年)も、クロスの入り方やヘディングの話は、選手たちも『なるほどなあ』という感じで聞いていました。ほかの人が持っていない感覚なんでしょうね」

夜まで“サッカー談義”に没頭した熊本時代

――そのキタジさんとは、ロアッソ熊本で再びチームメートとなります(2012年途中~2013年)。
「レイソルで一緒にやっていた当時は、 お互いに若かったので言い合いをしたこともありました。けれど、熊本では自分がどうこうというのではなく、お互いにチームがどうしたら良くなるのか、ということを考えていました。キタジも僕も、30歳を過ぎていましたので(笑)。サッカーについて、とにかくよく話をした記憶があります」

――熊本で一緒にやった選手と言えば、藤本主税さん(2012~2013年)もいます。大宮のファンにとっても、馴染み深い選手の一人です。
「そうですよね。ぜひ呼びたかった選手の一人です」

――現役当時の藤本さんの印象は?
「サンフレッチェ広島でプレーしていた当時の印象が強いのですが、GKからするとすごくイヤなタイプでした。セカンドストライカーのような感じで中盤から飛び出してきて、ゴール前で捕まえにくい動きをするので。一緒にやってみるとすごく熱い。キタジと同じです。いつも3人でサッカーの話をしていました」

――どうしたらチームが良くなるのか、について?
「チームのこともそうですし、サッカーの戦術的な話は、現役中で一番と言っていいぐらいにしました。いろいろな戦術の特徴とか、『試合中にこうなったら、こうしたらいい』とか。二人からたくさんのことを学びました。練習が終わって三人でお昼ご飯を食べにいって、そのままずっと話をしていたら夕方になって、同じ店で夜ご飯を食べて帰ったとか(笑)」

――それはすごい!
「いつも行く喫茶店があって、そこでずっと話していました。まだ若手だった堀米勇輝(現サガン鳥栖)とか橋本拳人(現エイバル/スペイン)が在籍していたこともあったので、彼らも加わって話したり。とにかくいろいろなことを考えて、みんなで話して、すごく充実した時間を過ごすことができました」

高木さんの分析はすごいんです

――YUTA FRIENDSの高木琢也監督は、熊本在籍時の指揮官です(2010~2012年)。
「高木さんはものすごくストイックな方でした。練習ではとにかく走りましたし、とにかく厳しいイメージがありました。自分に厳しく、選手に厳しい。若い選手は怖がっていました(苦笑)」

――それは少し、意外な印象です(苦笑)。
「僕自身はそこまで怖いとは思わなかったですけどね。あのころの熊本は予算に限りがあって、分析担当のスタッフがいなかったんです。監督の高木さんが、すべてご自身でやっていました。次の対戦相手の試合を5試合ぐらいさかのぼって観ていました」

――5試合だと単純に再生しても7時間半ですが、止めて、再生しての繰り返しでしょうから、もっと時間はかかるでしょうね。
「真夜中まで一人で分析をするのは当たり前で、そのせいで首が痛くなった、なんて話を聞いていたので、ホントにストイックな人だなと思っていました。その分析がまた、すごいんです。 試合中に『これっ、高木さんが言っていたことだ』というのが、何回もありました」

――たくさんの監督とやってきましたけれど、このチームの監督は高木さんなのですね。
「監督と選手の間柄でなくなってからのほうが、ちょっとこう親交が深まっているところもありまして。共通の友人も含めて、一緒に食事に行ったりすることもあるんです」

――そこではどんなお話を?
「サッカーの話ですね。お互いにサッカー人ですから」



※第2回に続く。


戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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