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大宮アルディージャマガジン『VAMOS』の人気連載『ROOTS』。アカデミー出身選手の原点を紐解くこのコーナーのアーカイブを、デジタルVAMOSで掲載! 今回は、ジュニア1期生の生え抜き大山啓輔編をお届けします。
※2018年6月1日発行『VAMOS VOL.115』より。内容や役職は掲載時のまま

あのころがあるから、今がある ROOTS
大山啓輔


文=河合 拓

 「この子は本当に、大宮アルディージャに入る気があるのかな」

 新たに設立することになったジュニアのセレクションに立ち会った丹野友輔(現ユース監督)が、第一印象でそう思うのも無理はなかった。目の前に立っていた11歳の少年は、ライバルクラブの真っ赤なウエアに身を包んでいたのだ。

 当時を振り返り、大山啓輔は苦笑する。

 「兄貴がレッズにいたから、特別に(浦和の)スクールに通わせてもらっていたんです。少年団の服は白い体育着みたいな胸に『大山』って書いてあるものだったから、少しでもカッコいい服を着たいと思ったんです。やる気だけはあったからコーチの目の前にいたんですよね」

 着ていた服で、良くも悪くも大宮のコーチ陣の興味を引き付けた大山は、プレーでもインパクトを残す。

 「身体能力はすごく低い。背が小さくて、頭がデカくて(笑)。だけど技術がしっかりしていて、状況判断にも優れていました。また、パーソナリティーの部分でも自分を出せ、自分を表現できる。そんな小学生だったので、ピッチにいても目立ちました」と丹野は回想する。身体能力の低さを補ってあまりある技術、そしてそれを表現できるインテリジェンスがあった。

 大山家はサッカー一家だ。父はサッカー少年団の指導に携わり、金澤慎を教えていた時期もあった。啓輔の9つ上の兄・俊輔は、浦和の下部組織からトップチームに昇格。2016年までJリーガーだった。

 そんな家庭で育ち、自然とボールを蹴るようになった大山は、幼稚園、小学校と校庭を存分に使って友人たちとボールを追いかけた。小学校入学と同時に、地元のサッカー少年団に入り、トップ下やボランチでプレー。当時からパスが好きで、得点よりもアシストがうれしかった。こうしてセレクションに合格した大山は、ジュニアの第1期生となり、オレンジ色のユニフォームを着る権利をつかんだ。


ジュニアの1年で培ったサッカー選手としての素地

 大宮ジュニアでの日々は、刺激的だった。最初のミーティングで、大宮のトップチームで活躍する選手を育てることがアカデミーの目標だと説明された大山は、プロサッカー選手を目指す決意をする。
  • 大山 啓輔
  •  「ボールを止める、蹴るという基本からたたき込まれました。なんでここに止めるのか。ボールを蹴るときも、何となく蹴るのではなくて、フワッとしたボールを蹴るのか、バックスピンの掛かったボールを蹴るのか。バックスピンの掛かったボールなら『カットボール』というように、球種やプレーを言葉とマッチさせる作業も多くありました。そうしたことが楽しかったですし、サッカーノートも付けていましたね。考える癖がつきましたし、サッカーの基本を教わりました」

     ジュニアの初代キャプテンを務めた大山は、Jr.ユースに上がることとなった。内定をもらった直後、親からは兄が進んだ浦和に行かないのかと聞かれたという。だが、大宮以外の選択肢は頭になかった。

     「ジュニアで過ごした1年間が楽しくて新鮮だったから、中学でも大宮でやることしか考えられませんでした。親にも『浦和のセレクションを受けなくていいの?』と聞かれましたが、『大宮でやりたい』と伝えました」

     大山の世代でジュニアから昇格したのは4人のみ。Jr.ユースには県内の強豪から、大山の言葉を借りれば「背が高い選手や足の速い選手など、何かしらの武器がある選手たち」が集まってきた。身体能力でアドバンテージのなかった大山は、どうすれば自分が生き残れるか、頭を働かせた。
 「Jr.ユースに上がって、『自分の武器は何か』を考えました。自分より速くてデカイ選手はいっぱいいた。彼らを生かせれば、このチームでも試合に出られる。ポジション的にも、その役割が多いから、周りを使うプレーを自分の売りにしないといけないなと考えていました。

 あと、背は少しずつ伸びたけど、ガリガリのままでした。だから、いかに相手のタックルを食らわないでプレーするかは意識していました。ポジショニングや判断を早くすることは、体が小さかったからこそ意識するようになったと思いますし、それは今も生きていると思います」

大山 啓輔


成長を加速させた恩師との出会い

 ジュニアの1年間でサッカー選手として成長していくための基盤を作った大山は、Jr.ユースで運命的な出会いを果たす。中学2年、3年時の監督であった中村順(現育成部長)だ。

 それまでは、決定的なラストパスやヒールキック、アウトサイドキックなど、見た目にインパクトのあるプレーを狙う選手だった。当然ボールを失うこともあったが、咎められることもなかったため、それでいいのだと思っていた。

 そんな大山に、中村は「お前は10本パスを出すなら、9本は成功させないといけない」と告げたという。

 「言われたときはビックリしましたし、しばらくは『ミスしたらいけない』と消極的になりました。でも、自分がプロになるなら、それが生きていく道なんだろうと思いました。それまでは10本すべてを、通るか通らないかのパスを狙っていましたが、6、7本は安全なパスを出しつつ、残りの2、3本でキラーパスを出すなど、シチュエーションに応じたパス出しを考えるようになりましたね。安全なパスが、必ずしも消極的なパスではありません。時にはバックパスが縦に入れる布石だったりします。そう考えたときに、安全なパスもすごく大事だなと思えました」

 さらに中村からは、世界的名手のプレーを参考にするように言われたという。

 「当時、バルセロナでプレーしていたシャビのプレーがヒントになると言われました。『ヒールパスやアウトサイドのパスなど、派手なプレーをする選手がうまい選手ではない。本当にうまい選手は、難しそうなことを、簡単にやる選手だ。シャビはほとんどのプレーをインサイドでやる。それがシャビのすごさだ』と言われたんです」

 インサイドで出すパスは簡単そうに見える。だが、インサイドでパスを出し続けられるのは、パスを出す前のポジショニングや体の向きがいいからだ。ボールを蹴る前に準備ができていなければ、難しいキックをしなければいけなくなる。そうしたことを意識するようになって、大山のプレーは劇的に変わっていく。

 当時を中村も明確に記憶している。

 「最初、彼は全部、仕掛けのパスを出そうとしていました。本当に良い状況ならそういうパスを狙ってもいい。でも、そうじゃない状況でも無理にリスクの高いパスを出して、取られていました。それは自分の価値を落としているのと同じです」


誰もが認める大宮の象徴になるために

 ユース昇格後、大山は1年時から10番を背負い、試合に出場し続けた。1年時は結果が出ずに、チームはプリンスリーグ1部から2部に降格。2年時には再びチームを1部に再昇格させる。

 3年時はプレミアリーグ昇格とはならなかったが、1部残留を果たした。その活躍が評価され、年代別の日本代表にも招集された。

 着実に成長をしていったが、高校2年時には強い危機感を覚えていた。

 「夏休みに1カ月間、トップチームの練習に参加したんです。そのときに『やばいな』と思いました。体も細いし、スピード感にもついていけない。どれだけうまくなっても、当たりを避けていたらやっていけないと思いました」

 それまでは、自宅から片道1時間以上を掛けて練習に参加していたが、その時間がもったいないと感じた大山は、育成部長に就任していた中村に寮に入れてほしいと直訴した。中村は、17歳の決断を受け入れた。

 入寮が認められてからは、練習が19時半に終わると食事をとり、21時半から筋トレを行なった。火曜、水曜には岡本隆吾(現Jr.ユース監督)も付き合ってくれたという。当初は岡本とマンツーマンでトレーニングをしていたが、寮で生活する他の選手たちも「一緒にやりたい」と、『隆吾ジャパン』という筋トレグループができあがった。

 「21時半から筋トレをスタートして、終わるのが22時半くらい。今振り返ると、隆吾さんは家庭もあっただろうし、めちゃめちゃ迷惑だったと思います。でも、嫌な顔を見せることなく付き合ってくれました。

 筋トレは1人だときつくて逃げそうになるけど、だんだん後輩も増えていって、盛り上がりながらやれました。そういう意味でも、寮に入ったのは良かったと思います」

 当時は県内に住む選手は自宅から通うのが通例だった中、異例の入寮を認めた理由を中村はこのように話す。

 「あの子は、常にプロになるためにどうするべきかを考えていました。人にどう思われるかには興味がない。大切なのはプロになるためにどうすればいいか。自分の人生をかけてサッカーに向き合っていて、覚悟が決まっていました。プロになるための提案でしたし、それだけの価値があると思ったので、前向きに検討しました」

 高校3年の夏を前に、大山にトップチーム昇格の内定が告げられた。

 「ジュニアに入った小6から、トップに入らないといけない。入れなかったら、もう終わりくらいに思ってやっていたので、昇格が決まったときは、うれしいというよりも、ホッとしました」

大山 啓輔

 クラブのレジェンドである斉藤雅人が着けた15番を引き継いだ大山も、23歳となった。大学に進学していれば、新社会人になったばかりだが、彼はプロ5年目を迎えている。

 16年にはルヴァンカップでプロ初ゴールを記録。ジュニア時代、トップチームの前座試合でNACK5スタジアム大宮のこけら落としとなる得点を決めてから、約10年が経っていた。昨年はキャリア最多となる25試合に出場。だが、周囲の期待はもっともっと高い。

 丹野が「大宮の未来を背負っていってほしい。自分がチームの中心にいて、チームを引っ張る。大宮の未来を変えていく選手になってほしい」と言えば、中村も「今のパフォーマンスは満足できるものではないかもしれないし、ファン・サポーターにも歓迎されるものでもないかもしれません。でも、次の10年を考えると、彼がこの4年間で身に付けた経験は大きいと思います。今も楽しみですし、クラブのシンボル的な存在になれる選手だと思っています」と同調する。

 夢を追ってきた大山は、今は自分が夢を与える存在になったことを自覚する。

 「もう5年目ですし、若手ではありません。チームに何かしらの力を還元できないといけない。去年は、育ててくれた人たちに合わせる顔がありませんでした。いつも『アカデミーの子たちが見ているから』と言っていただいていますし、勝ちを目指しつつ、アカデミーの子どもたちが『あの人みたいになりたい』と言って目指す場所になれるように、振る舞いとか、サッカーとの向き合い方などは、変えてはいけないと思っています」

大山 啓輔


大山啓輔(おおやま けいすけ)
1995年5月7日生まれ。埼玉県出身。174cm/67kg。大宮ストライカーから小学6年で大宮ジュニアに1期生として加入。ユースの時には年代別日本代表にも選ばれた。2014年にトップ昇格し、今シーズンでプロ7年目を迎えている。9歳上の実兄・大山俊輔は浦和や富山などで活躍した元Jリーガー。2016年と2017年は選手会長を務めていた。

1995―大山啓輔誕生
2007―大宮ジュニアに加入
2008―大宮Jr.ユースに昇格
2011―大宮ユースに昇格
2014―大宮トップチームに昇格



河合 拓(かわい たく)
『週刊サッカーマガジン』編集部、『ゲキサカ』編集部を経て2015年よりフリーランスとして活動している。フットサルの専門サイト『FUTSALX』の立ち上げメンバーであり、フットサルにも造詣が深い。大宮アルディージャマガジン『VAMOS』では、塚本泰史クラブアンバサダーや秋元利幸プロジェクトマネージャーの連載などを担当している。