10年越しの思い
迷いは、なかった。
「大宮アルディージャからオファーが来たら、僕は断ることなどできなかったです。カテゴリーは関係なかったですね。プロサッカー選手は、そんなに長くできるわけではないですし、ずっと夢だったクラブでプレーするチャンスなんて、ない選手の方が多い世界だと思うんです。そういうチャンスがあるのなら、むしろ行かない方が後悔すると」
Jr.ユースからユースへステップアップしたが、トップチーム昇格は果たせていない。高校卒業後はアルディージャと提携を結んでいた東洋大学へ進学し、卒業後は湘南ベルマーレの一員となった。それでも、胸の中ではアルディージャへの思いが育まれていった。
14年から18年まで在籍した湘南は、曺貴裁監督の下で独自のスタイルを構築している。選手が成長できるクラブとの認識は多くのJリーガーが共有しており、石川自身もプレーヤーとしての可能性を拡げてきた。2018明治安田J1は28試合に出場して残留に貢献し、ルヴァンカップ優勝時のピッチにも立っている。湘南で引き続きプレーすれば、さらなるレベルアップが見込めるだけに、彼の決断は驚きをもたらした。
「湘南で、どこか達成感も出てしまったので、だからこそ、環境を変えるならこのタイミングかなと。体が思うように動かないような年齢で移籍できたとしても、それこそ記念の移籍になってしまう。それだけは避けたかった、というのもありました」
クラブ生え抜きの選手とは、少なからず縁がある。ユース在籍時にトップの練習に参加した際、実家まで車で迎えに来てくれたのが金澤慎だった。クラブのレジェンドが話題になると恐縮することしきりで、「憧れの選手でしたし、当時も今も変わらずに、本当に優しい方です」と、本人がいないのにペコリと頭を下げるほどだ。
2学年上の渡部大輔は「雲の上の存在でした」と言い、今度は背筋を伸ばした。「世代別の日本代表に入っていましたし、3年生のときはJユースカップの得点王にもなっています。同じピッチに立てるなんて、当時は想像もできなかった。話し掛けることなんて、できなかったですから」。
今もまだ、渡部に話し掛けるのは「緊張します」と笑う。
全てはチームのために
高木琢也監督が採用する[3-4-3]システムには、湘南でなじんできた。石川自身も「やりたい大枠はそれほど変わらないので、意識の部分で変える必要のないところが多かった」と言う。「高木さんが指揮していた去年のV・ファーレン長崎は、球際と攻守の切り替えが特長だと感じました」とも話すが、それこそは石川のストロングポイントである。ボールの奪い合いにクリーンかつ激しく挑み、攻守の切り替わりで足を止めないのだ。
アカデミー出身の経歴とJ1でタイトルをつかんだ実績、それに高木監督のシステムにマッチするプレースタイルが、石川への大きな期待につながっているのは間違いない。さらに加えて彼は、14年と17年のJ2でJ1昇格を経験している。
「14年は大卒1年目で、あまりチームに関わることはできなかったですが、17年はシーズンを通して試合に出ることができました。J2で優勝して昇格しましたが、楽な試合なんて一つもなかった。どのチームも『湘南に一泡吹かせてやろう』という感じで臨んできていた。地に足を着けて戦わないと、足元をすくわれるのがJ2です。プライドとか自信を持つのは大事ですが、それが過信になってはいけない。自分たちが100%の力……いえ、今年のスローガンの121%を出し切ることだけを、考えるのが大事かなと」
J1復帰への戦いの第一歩──開幕戦が、いよいよ近づいている。
静かで穏やかな決意表明は、揺るぎない意思を感じさせるものだった。ユース以来、実に10年ぶりとなるオレンジのユニフォームに袖を通し、NACK5スタジアム大宮のピッチに立つ石川に、一切の迷いはない。