入魂の一蹴を目指して奮闘中! ~大島暖菜~

その衝撃の一報がもたらされたのは今年の5月のことでした。右サイドの切り込み隊長として、スタジアムを沸かせていた大島暖菜 選手が、練習中に左膝前十字靭帯損傷を負い、長期離脱を余儀なくされました。WEリーグに身を置いて2シーズン目。U-19日本女子代表活動に招集され、高い目標を手にした矢先のことでした。過酷なリハビリを一歩ずつ進めている大島選手が今、想うこととは——。


文・写真=早草 紀子

—1月の書初めのときは、「たくさん試合に出る」って書いてましたが、そこにはちょっと悔しさがにじんでました。
スタメンがすべてじゃないけど、やっぱり出場数が少なくて、出たときに決定機を作る回数も少なかったので…。得点に絡めることもあったけど、自分的にはもう少し形にしたいけどうまくいかない。すごく空回りしちゃって、どんどん落ちていっちゃってた時期でした。

—その空回りからどうやって抜け出そうとしてしていたのでしょうか?
結構、情緒が乱れちゃうタイプなので、自分の感情だけで動かないことは意識してやってました。できないことはできないって割り切って長所を伸ばしてチームに貢献することを中心にやってました。

—自分のプレーと向き合えば向き合うほど、感情で動きがちになりますよね。
ですよね。だから、できないことはもう割り切る! 10回やって10回できないものは、練習していけば絶対できると思うんです。でも、今じゃないのかもって。だったら長所を伸ばして自分の成功体験をどんどん増やしてった方が自信にもなるし、楽しくできると思いました。

—そう思える何かがあったんですか?
それはやっぱり昨シーズンまで一緒にタテ関係でプレーすることが多かったアリさん(有吉佐織)さんの存在が大きかったです。自分がミスしてもアリさんが後ろにいる安心感がありました。というのも、今までの自分は人の発言を素直に受け止め過ぎてしまうところがあって、それで自分のプレーができなくなったときに、アリさんが「力抜いて楽しんで」という類の言葉を常にかけてくれてたんです。それで、落ちついてやればいいんだ、割り切ろう! ってなりました。

—加入当初は年齢も一番下でしたから…。
もう全部「はい」「はい」「はい」でした(笑)。でも、受け入れるけど、「自分はこう思いました」と意見を伝える、自分の想いを言語化するこがすごく大切なんですよね。

—改めて長所を伸ばすとなると、大島選手にとってはやはり突破のところ。対策され始めていたなかで成功体験を重ねるために、トライしてたことは?
裏への抜け方は、試合や練習の映像を見ながら、ボールの出し手の顔が上がってるときにちゃんと動けてるか、なぜ今、裏にボールを出してもらえなかったのかというところは直接聞いたりもしました。あと1対1の局面が増えるので、いろんな選手と練習をしましたね。デビューしたては、もう感覚でタテにタテに行く感じだったけど、警戒されるようになって、そう簡単には抜けなくなったときこそ周りの状況を見て判断することが大事。自分1人で打開できればいいですけど、できないときにどう周りの選手をうまく使うか、何度も何度も映像を見返してました。

—昨シーズンはU-19日本女子代表にも招集されました。
各チームの化け物(笑)が、集まるのが“代表”。実際に活動してみて「やっぱりすごいな」と感じるながら「こういう経験ができるのってめっちゃ楽しいな」とも思いました。試合に絡めることは少なかったけど、その中でもみんな当たり前の基準が高かったから自分ももっとやらなきゃなって。

—対戦した相手よりも、日本の代表チームから受ける刺激が強かったんですね。
そうですね。日本の技術は高いって改めて思いました。でも、彼女たちは同年代なんですよ。自分もそれなりの覚悟を持って行ったけど、当然試合に絡める人は限られていて、しかも同年代の選手たちに、こんなに圧巻させられてる自分が悔しかった。まだこんなに届かないんだって。それはWEリーグで感じるものとは、また違う感覚で。スキルもそうだけど、気持ちの部分とかも。「1回失敗したから何?」みたいな何度も何度もトライするメンタリティとか、オフの部分での体のコンディションへの取り組みとか、自分に足りないものを突き付けられた感じでした。

—そこでしのぎを削ってた人たちがU-20女子ワールドカップでは決勝まで行きました。
見てました! …もちろん悔しい。でも悔しいけど、あのままケガしてなくてもあそこには立ててないなっていうのも思いました。

—その悔しさはメラメラ感に変換されました?
はい!

—ここから巻き返すぞ! というときの左膝前十字靭帯損傷だったんですね。
体のキレ、調子も上がってきたときだったので、本当に言葉が出なくて、ただ頭の中が真っ白になりました。切れる音がしたし、立てないし、力入らないし…。すぐ切り替えられるタイプじゃないないので、もう落ちるとこまで落ちました。そんなときにみんなが声かけてくれた。特に小さい頃からサッカーを教えてくれていた父の存在は大きかったです。言葉というよりは、ずっと寄り添ってくれてました。入院してリハビリ始まって歩けるようになったときも、父に見せると喜んでくれて…。そういう顔が見たいからがんばれたところもあります。

—ジョグでピッチに戻ってきたときもうれしそうでしたよね。
ボールが蹴れなくてもうれしかったですね。あとは(久保)真理子さんがいてくれたのも心強かった。一人だったら、絶対に途中で心が折れてたと思います。真理子さんは自分が受傷する前に、2度目の前十字靭帯損傷をやっていたんですけど、本当にツラい顔を見せない。そんな真理子さんを前にツラいなんて言えないです。自分もああいう強さを持ちたいです。

—今の状態は?
ボール回しまでやってます。それが当たり前にできることってこんなにうれしいんだ…って思いました。自分の体を徹底的に向き合う時間でもあるから、スピード面は前より早くなってやるっていうのは大前提で、あとは絶対的に体力をつけることを目標に設定してます。

—体力…、確か素走りはあまり好きではないと言っていたような気がしますが?
そうなんです(苦笑)。でもやれることがそれしかない時期もあって…。でも悔しさがあると走れるものですよ(笑)?絶対このチームで一番走れる人になります!

—きっとリハビリ期間中には、映像を見ながらイメージトレーニングも存分にしたと思います。リニューアルされた“大島暖菜“の強みは?
めっちゃ走ってめっちゃゴールを決める(笑)! 自分の中にずっとあるのが、観てる人に楽しんでもらいたいし、自分も楽しみたい。その中でも真剣さを感じてもらえるようなプレーが前よりも、もっと多くなるはずだと、それだけは自分の中心にずっととらえてます。

—ここからはきっと道は開けていくばかりです。スタジアムに立って一発目のチャンスボール、どんなプレーを見せたいですか?
もうブチ抜きます! みんなの想いも、いろんなものをファーストシュートに込めて…。そういうの見せたいですね。みんなが皇后杯を一つでも多く勝ち上がってくれれば…、最後の方は少し元気な姿を見せることができるかも?そんなことをイメージしながら、焦らず一歩ずつがんばります!


早草 紀子(はやくさ のりこ)
兵庫県神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。1993年よりフリーランスとしてサッカー専門誌などへ寄稿する。女子サッカー報道の先駆者であり、2005年から大宮アルディージャのオフィシャルカメラマンを務める。

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