Vol.60 戸塚 啓「ロジックとパッションのあいだ」【ライターコラム「春夏秋橙」】

ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”する記者の視点でお届けする本コーナー。今回は、就任が発表された新監督への期待感を、戸塚記者が綴る――。

Vol.60 戸塚 啓
ロジックとパッションのあいだ

 
 個人的には素早く決まった、との印象である。

 6月7日、霜田正浩監督の就任が発表された。

 様々な種類の経験を持つ。J1の複数クラブでトップチームのヘッドコーチからアカデミーまでに携わり、強化も担った。日本サッカー協会の技術委員長なども務め、ベルギーのシント=トロイデンVVでコーチを務めた。直近はベトナムのクラブを率いていた。

 J2リーグも熟知する。18年にレノファ山口FCの監督に就くと、クラブ史上最高位の8位へチームを押し上げた。2シーズン目は15位に後退し、昨シーズンは最下位に相当する22位に終わった。

 成績だけを見れば下降線をたどったことになるが、霜田監督の山口から多くの選手がキャリアアップを果たしていった。現在活動中の日本代表に追加招集されたオナイウ阿道は、18年の山口でブレイクした。今シーズンのサガン鳥栖で得点源となっている山下敬大も、19年の山口でチーム最多得点をマークした。

 山口ではアグレッシブなスタイルを貫いた。相手の強みを消すことよりも、自分たちのストロングポイントを発揮することにこだわった。

 シーズンオフには主力を抜かれることが常だったが、それでも攻撃的な姿勢を変えることはなかった。20年シーズンにしても、負けないサッカーに徹すれば最下位を免れることはできたかもしれない。しかし、現実的なサッカーで順位を上げるよりも、中長期的な視点に立ってチームを、個人を育てていった。

 16年から19年まで山口に在籍し、霜田監督が就任した18年から主将を任された三幸秀稔は、20年の湘南ベルマーレ入りに際して「山口では人間的にもたくさんのことを学ぶことができました。いまの自分があるのは霜田さんのおかげです」と話した。サッカーとの向き合い方を問い、選手たちのやる気を引き出していった。

 
 
 アルディージャの監督就任にあたっては、「一つのボールを奪い合う執念、味方のために走ること、諦めずにボールを追うこと、チーム全員で同じ絵を描くこと。そして何より勝つことにこだわります」とコメントした。個人的には「このクラブが培ってきた誇りを胸に、残り試合を大宮のために全力で闘うつもりです」との決意表明に頼もしさを感じた。

 「クラブが培ってきた誇りを胸に闘う」ということは、歴史に思いを馳せることにつながると思う。オレンジのユニフォームを着て戦った先人たちや、クラブを支えてくれているファン・サポーターの存在を決して忘れることなく、目の前のボールに食らいついていくということだろう。自分以外の誰かのために戦うとき、人は強くなれる。

 13日の栃木SC戦から指揮を執る。2勝5分10敗、15得点23失点の21位からのスタートだ。まずはJ3自動降格枠から抜け出し、中位から上位を伺っていくことがタスクとなる。

 ロジックとパッションを併せ持つ霜田監督のもとで、“魂を感じさせる”戦いが見たい。



戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

FOLLOW US