【聞きたい放題】栗本広輝「ようやくスタートラインに立って、一歩を踏み出せた。これからが一番大事だと思っています」

選手に気になる質問をどんどん聞いていく本コーナー。今回は、3月26日(土)に行われたファジアーノ岡山戦の途中からGKを務めるという異例のJデビューを果たした栗本広輝選手を、オフィシャルライターの粕川哲男記者が試合の二日後に直撃しました。

【聞きたい放題】 粕川 哲男
ようやくスタートラインに立って、一歩を踏み出せた。これからが一番大事だと思っています

“初”尽くしのデビュー戦

――大変なJリーグデビュー戦から2日経ちました。少しは落ち着きましたか?
「う~ん……やっぱり、まだ落ち着けていない部分がありますね。みんな気にしてくれて、本当に久しぶりの人からも連絡が来たりしているので。そういう意味で、等身大の自分をちゃんと見ないといけないな、と思っています」

――やっぱり、反応はすごかったですか。
「ありがたいことに多くの方が連絡をくれて、自分でもビックリしています。ほとんどが『まさかキーパーをやるとは』という感じでしたけど(笑)」

――あの日の夜は眠れましたか?
「試合に出た日はいつも眠れないので、特に変わりはありませんでした。アドレナリンが出ているせいか、試合の日の夜は、これまでもずっと眠れなくなるんです」

――アドレナリンで言えば、いつもの倍以上は出ていたんじゃないですか?
「ははは(笑)……そうかもしれないですね。でも、自分より前の選手たちの方が大変だったと思います。絶対シュートを打たせちゃダメっていう状況で、本当に飛んでこなかったので。フィールドプレーヤーがすごかったのは、後ろから見ていて強く感じました」

――初出場、初先発、初キーパーといろいろな「初」が重なった試合でしたが、そもそもメンバー入りも初めてでしたよね。
「正式に伝えられたのは試合前日でしたが、セットプレーの練習などで薄々(スタメンを)感じていて、試合の3日前くらいにシモさん(霜田正浩監督)から『まだ分からないけど、準備はできているな』と言われました」

――5戦勝ちなし、無失点試合もない厳しい状況で巡ってきたセンターバックでの初出場。どんなことを考えましたか?
「僕は編成が決まったあとの加入(公式発表は2月11日)だったので、そこからチームにどれだけ貢献できるか、自分自身も期待していた部分がありました。それまでもチームが負ければ悔しいし、引き分けでも悔しい。試合に出ていないとなおさら悔しかったので、チャンスをもらえたら自分にできることを精一杯やろうと考えていました」

――霜田監督は記者会見で、栗本選手が「自分から(キーパーを)やると言ってくれた」と振り返っていましたが、そんなつもりでもなかった?
「(苦笑)。あの~、そうですね……。あんな状況だったので、僕も記憶違いがあるとは思いますけど……。(上田)智輝ができないとわかって僕がベンチに戻ったのは、その先どうするか確認したかったからなんです。でも、そのときにはすでに僕がキーパーをやる雰囲気というか、実際に言われたりもしたので『やります!』と。シモさんは当然、僕のことを立てようと思って、そう言ってくれたんだと思います」

――映像を見返すと、苦笑い気味にも見えます。
「やったことがなかったので……。誰かがやらなきゃいけない状況で、僕もやりますって感じでしたけど、まさかデビュー戦でキーパーかぁって。真剣勝負の場所なのに、正直、マジかぁって感じはありました(笑)」

――キーパーの経験は?
「子どもの頃、『PKやろうぜ』って遊びでやった、そういうレベルです。試合でやったのは本当に初めてです」

――キャッチングも、パンチングも、パントキックもしていました。今後キーパーというケースはないとは思いますが、出来はまずまずだったんじゃないですか。
「……いや、やっぱりフィールドプレーヤーの頑張りが大きかったと思います。後ろから見ていて、絶対にシュートを打たせないというチームメイトの気迫を強く感じたので、僕がキーパーとして何をしたかは、どうでもいいです」

――栗本選手がキーパーになってから、シュートはあの1本だけでした。
「鬼気迫るものを感じました。そういう心強い仲間が前にいて、後ろでは多くのファン・サポーターの方が手拍子をしてくれました。その両方を感じていたので、そこまで不安はありませんでした。同時に、キーパーが誰だろうと、あれぐらい必死の守備を基準にしてプレーしないといけない、と感じました」

――コイントスで岡山が反対エンドを取ってくれてよかったですね。
「本当にそう思います(笑)。後ろからの声援は、ものすごく力になりましたし、めちゃくちゃ心強かったです。背中から押し寄せるパワーは圧倒的で、後ろから押されることで力が湧き出てくるような感覚を覚えました」

――やっていて一番恐かったのは?
「シュートが一番恐かったです。どういうボールが来るのか、自分がどこまで取れるのか、どう守れるのかが分からなかったので、ボールがゴールに飛んでこないこと、シュートを打たれないことが一番助かりました」

――クロスもそうですけど、コーナーキックも飛び出して触るなんて無理ですよね。
「無理ですね、はい(笑)」

――1本怪しいのが飛んできましたけど、外れてくれてよかった。
「本当にそう思います。枠に来ていたら、入っていたかもと思っちゃいます」

――勝てれば最高でしたが、デビュー戦でものすごいインパクトを残しました。
「確かに。多くのファン・サポーターの方々に、僕のことを覚えてもらえたかと思います。今日も、練習を見に来てくださった方に『オシになりました』という、ありがたい言葉を掛けていただきました。そういった意味では本当によかったとは思いますけど、やっぱり勝ちたいですし、これからが大事だと考えているので、足下を見て、自分にできることを積み重ねていきたいと思います」

アメリカ経由で大宮へ

――改めて、大宮に加入した経緯を教えていただけますか。
「昨年の10月末にアメリカのシーズンが終わって、帰国して今季に向けてトレーニングを積んでいました。そして今年1月、大宮の強化の方から『練習参加してみないか』と声を掛けていただき、そこからチームに合流しました」

――順天堂大学からホンダFCに加入し、そこからアメリカへ渡ったわけですが、その間、Jリーグという選択はなかったんですか?
「もちろん、Jリーグに行きたい思いがあったのでホンダ入りを決めましたし、ホンダのときに声を掛けてくれたチームもありました。でも、自分としては今じゃないという意識があって、その選択をしませんでした」

――アメリカ行きを決めた理由は?
「もともとメジャーリーグサッカーに興味があって、ホンダに入ってから数年が経って、アメリカでサッカーをしたいという気持ちが強くなりました。サッカーを含め、いろいろ経験ができると思ったので、移籍を決意しました」

――簡単には振り返れないとは思いますが、どういった3年間でしたか。
「本当に多くのことを学んだ3年間でした。おっしゃる通り、一言で表わすのは難しいですね。良いことも悪いこともたくさんありました。最初は言葉もできない状態で行って、文化も生活もすべて違うなか3年間過ごしたので……。1年目は全然慣れず、少し慣れた2年目にキャプテンを任されて、そのタイミングでコロナになって。3年目は、思うように結果を出せない苦しいシーズンになりました……。話すと長くなりそうです」

――そのあたりを深掘りしたかったのですが、デビュー戦があまりにも衝撃的だったので。またゆっくり聞かせてください。
「わかりました。とにかく、3チームとも監督、チームメイトに恵まれて、僕の人間性を評価してもらえたので、本当にありがたかったです」

――英語は、すぐ話せるようになったんですか?
「いや、キャプテンを指名されたときも話せなかったので言ったんですよ、監督に。僕は言葉ってすごく大事だと思います。言葉ができなくてもコミュニケーションを取れるとは思いますが、いざチームをいい方向に向かせたり、熱量を持たせたりするには言葉の力が必要だと思ったので、『言葉できないけど大丈夫?』って。そうしたら監督は『ヒロキのままでいい、いまやっていることを続けてほしい』と言ってくれたんです」

――言葉を超える存在感があったんでしょうね。
「どうなんでしょうか……」

――Jリーグデビューを果たせたことに関しては、どんな思いがありますか?
「ようやくスタートラインに立って、一歩を踏み出せたとは思いますが、これからが一番大事だと思っています。次の試合もメンバーがどうなるのか分からないですけど、自分がこの先にどういうプレーをするかで、苦しい状況を変えられると信じているので、本当にこれからだと思っています」

――デビューできた喜びは、そこまで大きくない。
「そうですね。いま自分が一番心配しているのは、いろいろな人に声を掛けてもらったり、話題になったりしていて無意識的にも高揚しているので、鼻が伸びる感じになることです。そうならないように気をつけています」

――望んでいた注目のされ方とは、違うわけですものね。
「そうですね(笑)。フィールドでプレーした60分間を振り返っても、後半の最初に1回入れ変わって相手にチャンスを与えていますし、前半にもミスがあったと思っているので、そこにフォーカスして今後のプレーに生かしていきたいです」

――そこまで冷静に分析して、気持ちを引き締める意識があるなら大丈夫じゃないですか。慢心するようなことはないと思います。
「大丈夫だといいんですけどね(笑)」

――今後の目標を聞かせてください。
「まずは、ひとつ勝つこと。そのために自分たちにできること、僕自身にできることは、日々のトレーニングを一生懸命やることです。できることに全力を注ぐ、それに尽きると思います。そこを怠らず、しっかりやるだけだと思います」

――守備の選手という意識で話を聞いちゃっていましたが、本職はボランチですよね?
「いや、どこでプレーしてもサッカーに変わりはないですから。アルディージャでの僕の役割を考慮した結果のセンターバックだと思いますし、チームの力になれるのであれば、どこのポジションでも全力で頑張ります!」

――今後の活躍と初勝利を期待しています。
「ありがとうございます。本当に早く勝ちたいです」

粕川 哲男(かすかわ てつお)
1995年に週刊サッカーダイジェスト編集部でアルバイトを始め、2002年まで日本代表などを担当。2002年秋にフリーランスとなり、スポーツ中心のライター兼エディターをしつつ書籍の構成なども務める。2005年から大宮アルディージャのオフィシャルライター。

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