ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”するオフィシャルライター陣の視点で、毎月1回程度お届けします。
伝道者
ピム・ファーベック氏が亡くなった。かつてアルディージャを率いた名将である。63歳。あまりに突然の訃報だった。いくつかの報道によると、がんで4年間、闘病していたという。
智の人だった。残念ながら、僕自身は直接関わる機会がなかった。しかし、これまでインタビューしてきた選手や監督の口からは、ことあるごとにファーベック氏の名前が挙がっていた。そこに込められていたのは、あふれんばかりのリスペクトだ。間違いなく、アルディージャの歴史を語る上で、欠かすことのできない人物と言えよう。
クラブ初の外国籍監督としてアルディージャに来たのは、チームがJリーグに参戦する前の1998年7月。[4-4-2]のゾーンディフェンスをベースに采配を振るい、ポゼッションサッカーをチームに植え付けた。
選手にプロフェッショナリズムを芽生えさせたのも功績の一つ。昨年、『VAMOS』の特別対談で話を伺った斉藤雅人さんは、ファーベック氏についてこう語っている。
「もっとも影響を受けた指導者と言っていいでしょう。彼がいなかったら、プロとしての一歩を踏み出せなかったかもしれません。ピッチの外もそうだし、もちろんピッチの中でも、プロとはこうあるべきだということを教えてくれました。クラブも彼から教わったことは多かったと思います」
サッカーに対する誠実な姿勢も、たくさんの人から愛された証だ。
「フットボール的にもそうですけど、それまで自分がやってきたサッカー、モヤっとしていたことを全部整理してくれた人でした。基本的な守備の考え方、アルディージャが長く使っていた[4-4-2]のゾーンディフェンスは、彼の考えがベースになっています。今振り返っても最先端なことをやっていたし、そういう意味でもすごく影響を受けました」
在籍は1999年までと決して長くはないが、チームに多くの財産を残した。
アルディージャの監督を退任すると、オランダ代表のチームスカウトとして名を馳せた。韓国代表のアシスタントコーチ時代は、2002年日韓ワールドカップのベスト4進出に貢献。さらに、京都パープルサンガやオーストラリア代表の監督を歴任している。
オマーン代表を率いたのも、記憶に新しい。今年のアジアカップでは、グループステージで対戦した日本代表を最後まで苦しめた。久しぶりにその顔をテレビ越しに見て、懐かしさのようなものを覚えたものだ。
2019年12月1日、J1参入プレーオフの試合前には、黙祷が捧げられた。選手は喪章を着用して戦った。
J1昇格は成し遂げられなかったが、ファーベック氏の教えはこれからもクラブに脈々と引き継がれていくだろう。
安らかな眠りにつかれますよう、心よりお祈り申し上げます。
岩本 勝暁 (いわもと かつあき)
2002年にフリーのスポーツライターとなり、サッカー、バレーボール、競泳、セパタクローなどを取材。2004年アテネ大会から2016年リオ大会まで4大会連続で現地取材するなど、オリンピック競技を中心に取材活動を続けている。2003年から大宮アルディージャのオフィシャルライター。