【聞きたい放題】若林学歩「いろいろな人に『俺は高卒でプロになる』と言っていた」

選手に気になる質問をしていく本コーナー。今回は高卒ルーキーの若林学歩選手に話を聞きました。

聞き手=須賀 大輔

「いろいろな人に『俺は高卒でプロになる』と言っていた」


プロサッカー選手としての実感

――1月のシーズンインから数えると、半年以上の時間が経ちました。プロサッカー選手の自覚は出てきましたか?
「正直、最初のころはあまり実感する機会がなかったです。ただ、最近になってベンチに入るようになり、ウォーミングアップに出て行くときに自分のユニフォームを着てくれている人がいたり、自分のゲーフラを掲げてくれたりする人を見つけたときに『プロになったんだな』と実感します。特に僕の高校時代はちょうどコロナと重なってしまい、声を出して応援してもらえることがほとんどなかったので、余計にそのありがたみは感じています」

――プロサッカー選手になるということは、サッカーをして収入を得ることでもあると思います。初めて給料をもらったときのことは覚えていますか?
「自分はアルバイトをした経験がなかったので、最初はびっくりしました。あらためて、18歳で好きなサッカーをして生活できている状況は、本当に幸せなことなんだなと思いました。母親には先日の誕生日に枕をプレゼントしましたし、祖母には靴を買ってあげました。二人ともすごく喜んでくれて良かったです」

――プロに入って、最初に衝撃を受けたことはどんなことでしたか?
「足元の部分です。ポゼッションの練習に参加したときにすごく衝撃を受けました。高校時代はキックの飛距離には自信があったのですが、つなぐことはほとんどなく、足元が得意でなかったので、最初は本当に何もできなかったです。現在もまだまだですけど、当時は『どうしたらいいんだろう……』という感じで、頭の中がこんがらがることが多かったです」

――その壁をどうやって乗り越えたのでしょうか?
「いっぱいミスをしながらも拓也さん(松本GKコーチ)にアドバイスをたくさんもらいました。最初のころはマンツーマンで2部練習をしてもらって、足元を重点的にトレーニングしてきました。いまも取り組んでいる最中に変わりはないですが、最初に比べれば少しずつ階段を登れていると思います」

――まさかプロに入ってパスの練習をするとは思っていなかったですよね?
「そうですね。足元に苦手意識はありましたけど、ここまでできないとは正直、思っていなかったのでびっくりでした。インサイドのコントロールとパスなど、本当に基礎の基礎からやりました。その積み重ねで、ボールを持ったときに見られる場所が段々と増えてきたり変わってきたりして、味方が受けやすいパスも分かってきた感覚はあります」


試行錯誤の日々

――セービングのほうはどうでしょうか?
「止められる、止められないは別にして、シュートスピードは高3のときに、Jリーグのクラブに練習参加させてもらって体感していたので、そこまで大きな驚きはなかったです。ただ、プロになると本当に細かい部分が大事になってくるとつくづく感じています。高校時代は手の出し方や手を出すタイミングがぐちゃぐちゃだったので、いまは少しずつそれを直している段階です」

――高校時代は止められるか、止められないかで、“ぐちゃぐちゃ”という発想自体がなかったと思います。
「ないですね。高校のレベルだとタイミングがズレていても、自分の身長ならある程度のシュートは届いてしまうけど、プロに入ってそのままのスタンスで準備していると、少しタイミングがズレただけで反応できなかったり、手を出すのが早すぎることで変化したボールに反応し切れなくてこぼしてしまったりと難しさを感じました。また、手の出し方一つ取っても、まっすぐに出すのか、少し上から出すのか、そこを一つひとつしっかりと考えてシュートに対して手を出さないと、止められないことに初めて気が付きました」

――飛んでくるシュートに対して考える時間はなく、反射で飛ぶことが多いと思います。
「だから、本当に最初は頭が疲れましたね。あとは、頭では理解しているけど、手が思うように出なかったり、手には当たっているけど手の向きが適切でないから入ってしまったりと、本当に細かい部分の大切さを痛感しました」

――いまは少しずつそれが理解できるようになってきている感覚ですか?
「それはあります。トレーニングの映像を撮っているので、それを家で見返して『ここはこうだった』と、自分なりに反省と修正をするようにしています。理想は何も考えずに無意識でシュートに反応して止められるようになることがベストです。それがなかなか難しいんですけどね……」

――では、いま重点的に取り組んでいることはどんなことですか?
「拓也さんによく言われていることは二つです。『他の人が届かないコースのボールを触れるからこそ、決定機を阻止すること』と『確実なボールを確実に取ること』。まだ、技術が完全でないぶん、コースの甘いシュートが入ってしまうことがあるので、そこの確実性を高めることは意識しています」

――ベンチ入りするようになって意識は変わりましたか?
「だいぶ変わりました。それまでは自分の技術を高めることを意識してやっていましたけど、いまはGKが二人しかいないので、試合に出たときに何ができるかを想定しながら練習に取り組んでいます。もちろん、二人体制になったことで拓也さんからの要求も高くなりましたし、試合から逆算しながらやっています。だから、試合に向けたセットプレーの練習とかは実はけっこう緊張しています()。ただ、本当に素晴らしい環境でやらせてもらえていることは実感していますし、試合前、アップに出て行くときの雰囲気は本当に最高でいつもテンションは上がっています」

――その緊張と興奮を味わったことで、試合に出たい気持ちは強くなっているのではないですか?
「間違いなく、以前よりも強くあります。いまの自分にとっては練習試合が大事なアピールの場なので、そこでいまできることを最大限やって、なおかつ無失点で抑えることを意識しています」


最初からGKがやりたかった

――サッカーを始めたきっかけを教えてください。
「小学生のときからサッカーは好きでしたけど、休み時間や放課後に友達とやっている程度でした。何回か『サッカーを習いたい』と母親に言ったことはありましたけど、中学校に入れば部活があるのでそのタイミングで始めようとなって、本格的に始めたのは中学生になってからですね」

――小学生のころはブレイクダンスに熱中していたんですか?
「ブレイクダンスは5歳ではじめて中学1年の終わりごろまでやっていました。最初はダンスが楽しかったんですけど、段々と周りにサッカーをやっている友達が増えてきて、一緒にやるようになって中学から始めました。最後のほうはサッカーが楽しくてダンスにはぜんぜん行ってなかったんですよね……()

――ポジションは最初からGKだったのですか?
「そうですね。攻撃よりも守備のほうが楽しくてGKがやりたかったです」

――土のグラウンドで痛かったり怖かったりしなかったですか?
「あまり怖さは感じなかったです。ちゃんとできていたかと言われればできていなかったと思いますけど、シュートを避けたり怖いと思ったりすることはなかったですね。ただ、当時はGKがもう一人いて、その子は小学生のときからGKをやっていたのでうまくて、自分がGKとして試合に出られるようになったのは3年生になってからでした」

――身長は当時から大きかったんですか?
「中学1年のときに170cmちょっとはあったと思います」

――地元の八王子を離れ、高校は埼玉県の狭山ヶ丘高校に進学します。どういう経緯があったのでしょうか?
「どこで情報を聞きつけたかは分からないですが、中学2年の冬に当時の狭山ヶ丘のGKコーチの方が学校に来て、練習を見てくれる機会がありました。そこで練習参加に誘ってもらい、すぐに入学が決まりました。その後、他の高校やクラブチームからも誘ってもらえましたけど、狭山ヶ丘に決めて、中学3年のときは、部活の引退後は週に12回は狭山ヶ丘の練習に通っていました」

――高校からオファーが来るなんて想像していなかったですか?
「まったく思っていなかったのでびっくりしました。中学2年のときに180cm以上あったので、将来を見込んで声をかけてくれたのかなと思っています。でも、当時のプレーはまだまだだったと思います」

――高校に入って本格的なGKトレーニングに触れるわけですよね?
「当時の狭山ヶ丘は県内でもGKのレベルが高いことで有名だったらしいです。3学年合わせて78人はいました。入学時には190cmくらいあったので身長は一番大きかったですけど、ほとんどの人が185cm以上あって、先輩たちは全員うまかったです。中学時代はYouTubeを見て、毎日自分で練習を考えてやっていたので、それはそれで楽しかったですけど、高校のトレーニングはGKコーチがしっかりいて、毎日のようにメニューが違って面白かったですし、とても充実していました」


プロの道を切り拓く

――プロを意識したタイミングはいつごろですか?
「中学でサッカーを始めたときから『プロになりたい』とは思っていましたけど、高卒でなれるとは思っていなかったです。それが、高校に入ってGKコーチが『プロを出したい』とずっと言ってくれていて、その方はプロのなるための練習やピッチ外の振る舞いをすごく大事にしてくれていました。そこで自然とプロを意識するようになりましたね」

――高校3年生になり、大宮から練習参加の声がかかったときはうれしかったですか?
「大宮アルディージャには5月に3日間参加させてもらったのですが、その前に3月には他クラブの練習にも参加させてもらっていました。その後、夏になっても両クラブからも連絡がなかったので『ダメだったのかな』と思っていて、高校の監督からも『大学の練習に参加してきなさい』と言われていました。ただ、『どうしても高卒でプロになりたい』と思っていたら、8月になって大宮アルディージャからもう一度練習参加に誘ってもらえました。そのときは1週間くらいの期間があったんですけど、その後に加入が決まりましたね」

――大宮に加入が決まったときの感情は覚えていますか?
「もう、めちゃくちゃうれしかったですよ。いろいろな人に『俺は高卒でプロになる』と言っていたので、本当にそれを実現できてうれしかったですし、ホッとしました。誰に何と言われようと、自分の中でその思いだけはブレずにやってきた自負はありました」

――自分で進路を切り拓き、歩んできた道を正解にしてきている印象です。
「高校に行くときもJクラブのユースに練習参加していましたけど、狭山ヶ丘に行って良かったと思います。当時は強いチームに行くよりも、『どこに行ったらプロになれるか』を考えていました。もちろん、Jクラブのユースに行くことが最短だったと思いますし、環境は良かったですけど、『ここからプロになりたい』と思って狭山ヶ丘に行きました」

――まだプロ生活は始まったばかりです。今後の目標や夢を聞かせてください。
「最近は世代別の日本代表に入れていないので、そこにもう一度選ばれて海外遠征に行きたいと思っています。将来的な目標で言えば、大宮から海外のチームに移籍して、A代表に入って日本を代表するGKになりたいです」

――最も身近である今季の目標はどうでしょうか?
「いまはサブGKとしてベンチに入っていますけど、試合に出るチャンスをもらえれば、GKとして勝たせる仕事をして、チームの勝利に貢献したいと思います」

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