Vol.002 岩本勝暁「町田戦で実現した兄弟対決」【オフィシャルライター「聞きたい放題」】

アルディージャ練習場では日々、様々な取材活動が行われていますが、サッカーと関係のないことはなかなか聞けない場合もあります。このコーナーでは、そんな話も含めて記者が気になる質問を、どんどん選手にぶつけてみます。今回はダヴィッド・バブンスキー選手に、家族について聞いてみました。

Vol.002 岩本勝暁
町田戦で実現した兄弟対決

――第10節のFC町田ゼルビア戦は、ダヴィッド・バブンスキー選手にとって特別な試合になりましたね。町田に在籍する弟のドリアン・バブンスキー選手と同時にピッチに入りました。
「僕たち兄弟のキャリアにとって、とても重要な機会だったと思っています。弟もすごくうれしかったと言っていたし、家族も喜んでいました」

――タッチラインの外で待っているとき、ドリアン選手の方からハグをしてきたように見えました。
「ハグは愛情の表現ですからね。あのときはライバル同士でしたが、感謝の気持ちと互いの健闘を称え合う意味で、自然とあのような表現になりました。確かに同じJ2リーグですから、いずれ対戦することは分かっていました。ただ、ああやって2人が同じタイミングでピッチに入れるとは思っていませんでした」

――ハグの瞬間、スタンドから拍手が沸き起こっていたことは気づいていましたか?
「もちろん気づいていましたよ。弟と一緒にピッチに立つことでさえ特別なことなのに、ファン・サポーターの皆さんに拍手をしていただいて、さらに特別な機会になったと思っています」


――ドリアン選手とは普段から仲が良さそうですね。子どものころはどうやって競い合っていたのですか?
「バルセロナに住んでいたころ、家の近くにフットサル場があったんです。そこで何時間も1対1の練習をしていました。自慢したいわけじゃないけど、勝っていたのはいつも僕でしたよ(笑)」

――お父さん(ボバン・バブンスキー)が元サッカー選手で、かつてはガンバ大阪でもプレーしていました。当時のことを覚えていますか?
「2〜4歳のころだったので、はっきりとした記憶はないんです。ただ、とてもきれいな公園が家の近くにあったことは覚えています。池の中を亀や鯉が泳いでいました。その周りをよく走り回っていましたね」

――スタジアムの近くにある万博記念公園でしょうか?
「そうかもしれません。機会があれば、また訪れて自分のルーツをたどってみたいと思っています」

――2〜4歳といえば、多くの子どもが言葉を覚えるころです。大阪弁は記憶にありますか?
「大阪弁ではないですが、“ご飯、ご飯”と言っていたと、母が教えてくれました。それから、小さいころの僕は天然パーマで髪がカールしていました。それを見た周りの人から“かわいい、かわいい”と言われていましたね。あと、海苔をよく食べていたそうで、母が当時を思い出して『いつも口の周りが海苔だらけだったよ』と言っています(笑)」

――これまでFCバルセロナB、レッドスター・ベオグラードと様々な国でサッカーをしてきました。話せる言葉も豊富ですね。
「今のところ、5カ国語です。マケドニア語、セルビア語、スペイン語、スペインに住んでいたときはアメリカンスクールに通っていたので、そこで英語を学びました。バルセロナに住んでいたときはカタルーニャ語です。近いうちに日本語も話せるようになりたいと思っています(笑)」

――バブンスキー選手にとって、“故郷”はどこになるのでしょうか。
「生まれたのはマケドニアですが、15〜16年ほどバルセロナに住んでいました。学校もバルセロナだったし、友達が一番多いのもバルセロナなので、故郷としてはバルセロナかもしれません。ただ、サッカーを通していろいろな国を回ってきたので、考え方がとてもオープンになったと思っています。一つの国に留まらず、いろいろな考え方を取り入れることができました」

――今は結婚してお子さんもいらっしゃいます。サッカーをする上で、家族はどんな存在ですか?
「日本で結婚して、日本で子どもが生まれました。家族というのは僕にとって責任感を与えてくれる存在です。家族のおかげで、今もこうしてサッカーができていますからね」


岩本 勝暁 (いわもと かつあき)
2002年にフリーのスポーツライターとなり、サッカー、バレーボール、競泳、セパタクローなどを取材。2004年アテネ大会から2016年リオ大会まで4大会連続で現地取材するなど、オリンピック競技を中心に取材活動を続けている。2003年から大宮アルディージャのオフィシャルライター。

FOLLOW US