【聞きたい放題】横山知伸 フィジカルコーチ「フィジカルコーチは、新しくやろうとしている人がなかなか出てこない。それもあって、やってみたい気持ちになった」

選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は2014年から16年までアルディージャでプレーし、今季からスタッフとして加入した横山知伸フィジカルコーチに話を伺いました。

聞き手=戸塚 啓

「フィジカルコーチは、新しくやろうとしている人がなかなか出てこない。それもあって、やってみたい気持ちになった」


7年ぶりの大宮復帰

──2016年以来の“復帰”となります。お帰りなさい、ですね。
「現役時代にお世話になったスタッフの方々や、ファン・サポーターのみなさんから『お帰り』と言ってもらえるのは、とてもうれしいですね。それと同時に、しっかりやらなきゃいけないなという使命感が沸き上がります。プレッシャーを感じています()

──現役時代は14年から16年までの3シーズンを過ごしました。
「キャラクターの濃い選手、個性豊かな選手が多かったですね。あのチームでサッカーができて楽しかったな、と思います」

──14年はJ1からJ2に降格してしまいました。
「シーズン前半は悪くなかったのですが、途中からなかなか勝てなくなり、J1残留争いに巻き込まれて監督交代もあって。終盤もなかなか勝点を取り切れずに、J2に降格してしまいました」

──しかし、15年はJ2優勝でのJ1復帰を果たします。
「前年のメンバーがかなり残って、新しい選手も入ってきて、スタートはあまり良くなかったですが、チームのスタイルができ上がっていくにつれて、勝ち続けていくことができました。自分自身はいままでにないぐらい試合に絡むことができて、充実したシーズンでした」

──15年シーズンは全42試合のうち41試合に出場し、プレータイムはチームトップでした。
「タイミングに恵まれたと言いますか、スタメンで出るはずった選手がケガをしてしまい、ベンチスタートだったはずの自分が先発した、ということもありました。J2優勝とJ1昇格を決めた瞬間は、ホントにうれしかったですねえ」

──翌年はJ1で5位に食い込みます。現在もクラブ歴代最高位です。
「僕自身はあまり試合に出ていないのですが、J2で築いたチームのスタイルを、J1で見せることができたと感じました。トレーニングからいい雰囲気があって、質も高かった。試合に絡めない時期でも、いいトレーニングができていましたね」

──大宮で過ごした3シーズンは、キャリアの充実期と言っていいのでは?
「年齢的に30歳にさしかかって、『体があまり動かないのかな』という懸念もあったのですが、試合で使ってもらうことでまだまだできそうだな、という気持ちを膨らませることができました。チームメートにシオさん(塩田仁史)やバンさん(播戸竜二)がいて、自分より年齢が上の選手がどういう準備をしているのか見ることができた。それもすごく勉強になりましたね」

──17年から北海道コンサドーレ札幌、18年途中からロアッソ熊本、19年はFC岐阜に在籍し、19年限りで現役に幕を閉じました。
「サッカーを続けたい気持ちはあったのですが、自分がやりたいカテゴリーからのオファーはありませんでした。海外でプレーする話もあったのですが、そうなると家族と離れて暮らさなければいけなくなる。病気のことを考えると、海外への単身赴任は避けたほうがいいだろうと、その当時は考えました」

──ご病気というのは、18年12月の脳腫瘍ですね。
「今年の年末で5年になります。そこで先生に大丈夫と言われたら寛解なのかなと。脳腫瘍が悪性でガンという診断だったので、基本的には発症から5年間何もなければ寛解ということで、その言葉を聞くために日々健康に気をつけています。あれからアルコールは一切口にしていませんし、食事には気をつけています」

 

フィジカルコーチを志した理由

──引退後の20年に、札幌アカデミーのフィジカルコーチに就任しました。監督でもコーチでもなく、なぜフィジカルコーチだったのでしょう?
「引退したら何をしようかというのは、プロになってからずっと付きまとうもので、折に触れて考えていました。フィジカルコーチを選んだのは、病気のことが関係しています」

──と、言いますと?
「病気をしてクラブを探す過程で、パーソナルジムに通っていました。そのときにお世話になったトレーナーさんが、『横山さんはジムでトレーニングするのが好きだし、大学でもスポーツを学んでいるから、引退後にフィジカルコーチとかはどうなんですか?』と言われまして。確かにそれはありだな、と思いました。病気になってサッカー関係者の方々に支えてもらい、募金活動もしていただきました。自分に何ができるかは分からなかったですが、サッカー界に少しでも貢献できたらと考えるようになっていたのです。監督やコーチはやりたい人が多いですが、そのポストには限りがある。自分の経歴ではそちらの道は難しいだろうとも考えて、フィジカルコーチを勉強してみたいと」

──なるほど。
「そこからフィジカルコーチとして働いている方々に、具体的な仕事内容などを聞いたりしました。そのなかで、Jリーグ各クラブのフィジカルコーチは、新しくやろうとしている人がなかなか出てこないという話も聞きました。それもあって、やってみたい気持ちになったというのもあります」

──札幌からスタートした経緯は?
「引退を決めたあとに、現役時代にお世話になったクラブに挨拶をしました。直接足を運んだチームがあれば、お電話で報告をしたチームもあったのですが、札幌の三上大勝GMにフィジカルコーチを考えていますと伝えたところ、『ウチでどうなのか』と言っていただきました。札幌のアカデミーで仕事ができるならと思い、セカンドキャリアの出発点になりました」

──アカデミーでフィジカルコーチを始めるにあたって、事前にどのような準備をしたのでしょう?
「どういう勉強をしていいのかも分からなかったので、色々な人に聞きました。フィジカルコーチのイエンス・バングスボーさんの本を勧められて、それを買って勉強しました。JFA(日本サッカー協会)のフィジカルフィットネスライセンスも受講しました。それから、NSCAという団体のCPTという資格を取得しました」

──NSCAはアメリカで設立された、世界的権威のあるストレングス&コンディショニングの教育団体ですね。フィジカルトレーナーの業界で、信用度の高いものと言われています。
「本当はNSCACSCSという資格を取りたかったのですが、時間的な制約もあってCPTを取りました。勉強することで知識を得ることはできますが、現場で使えるようにするのはまた違います。インプットしたものをどうやってアウトプットするのかは、まだまだ模索中です」

 

アルディージャでの役割

──日々のトレーニングでの仕事内容を教えてください。
「ウォーミングアップやクールダウンが分かりやすいところですが、トレーニングや試合ではGPSデータを取っていますので、そのデータをまとめてスタッフと選手にフィードバックしています」

──メディカルスタッフとの連係も欠かせませんね。
「ケガをした選手はトレーナーさんが見て、次は自分のところへ来ます。最初はそういう流れが分かっていなくて、トレーナーさんから『この選手、どうやってコンディションを上げていく?』と聞かれたときに、『そうだ、リハビリの選手を見ていくのも自分の仕事だ』と、あらためて認識しました」

──相馬直樹監督から、選手のフィジカルコンディションについて具体的な指示などはありますか?
「一番問われるのは、やはりフットボールパフォーマンスです。そこをいかに引き出せるかという前提に立って、筋トレの量やピッチでの負荷コントロールを考えています」

──フィジカルコーチのやり甲斐とは?
「リハビリを終えてトレーニングに戻った選手が、試合で結果を出した瞬間はすごくうれしいですね。選手の活躍が一番です」

──それでは最後に、ファン・サポーターにメッセージをお願いします。
「フィジカルコーチとして帰ってくることができて、すごくうれしく思っています。と同時に、しばらく大宮を離れていたなかで、現状の成績などについては少し寂しい気持ちがあります。過去は変えることができないので、選手とスタッフ、ファン・サポーターの皆さんと一緒に、上を目指してやっていきたい。熱い応援をよろしくお願いいたします」


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