【聞きたい放題】小島幹敏×浦上仁騎 アカデミー同級生対談

選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は、アカデミー時代にともにプレーした同学年コンビの小島幹敏 選手と浦上仁騎 選手に、当時の話を聞きました。

聞き手=須賀 大輔


出会った当時の印象

──Jr.ユースからの長い付き合いですが、初対面は覚えていますか?

小島「小6のときのトレセンだよね?」

浦上「関東のトレセンだね。でも、そんなにはっきりとは覚えてないですね」

小島「たしか、小6の最後のほうで、仁騎が大宮のJr.ユースに入るのは決まっていて、それで『幹敏くんだよね』って言われて、『よろしくね』って返した気がする(笑)」

浦上「内定する前のトレセンで会っているかも。俺が堀崎でのセレクションを網越しから見てたでしょ? (小野)雅史たちは見に来てて、『もう決まっていていいなー』って思ってた。高みの見物でセレクションを見られてから(笑)」

小島「見てたわ。こっちはもう(ジュニアからJr.ユースに行くのは)決まっているから、『このなかから誰が来るんだろう』って(笑)」

──Jr.ユースでチームメートになってからの印象は?

浦上「幹敏はいまと変わらないですね。サッカーは天才肌でしかも左利き。そのときからめっちゃうまかった。キャラクターもぜんぜん変わらない。ずっとこの感じです(笑)。流されることなくやることはやる。ボケっとしているわけではないけど、ケロっとはしていてマイペースですね」

小島「俺はぜんぜん印象がないです(笑)。最初はそんなに話す機会もなかったからね」

浦上「ジュニア組の絆は強かったし、帰りの電車とかも地域ごとに固まって帰ることが多かったからね。でも、ずっと同じチームだと自然と仲良くなって、ユースでは二人組の練習は一緒にやっていたよね。練習前のパス練はいつも二人でやっていた」

小島「やってたね。あと、最後の大会の部屋が同じだった」

──同じ環境で育ってきたとは思えない、真逆な印象の二人です(笑)。

小島「とにかく、仁騎はみんなを代表して怒られていたよね」

浦上 (笑)

小島「一番怒られていたイメージ。キャラ的にも怒られやすかったのかな(笑)。何かあると真っ先に怒られていたよね」

浦上「マジでめちゃくちゃ怒られた……。何をしたのかと言われると、ちゃんとは出てこないけど、とりあえず怒られるみたいな」

小島「みんなの気が緩んでいると、とりあえず仁騎を怒って引き締める感じだったよね」

浦上「あるあるだよね。逆に幹敏は本当に怒られなかったよね」

小島「ほぼないと思う」

浦上「どうして俺が怒られるのか聞けなかったね。下手でついていくのに必死でそんな余裕もなかった。それがあったからいまがあるとは、すごく思うけど」

小島「そのイメージしかないね。だから、メンタルはすごく強いと思う」

浦上選手の熱い一言

──他に印象に残っているエピソードは?

小島「俺はありますよ。ユースのときに公式戦で負けてロッカーに戻ったら、仁騎は当時から熱かったから、『お前がこういう試合でしっかりやってくれよ』と言われました。それはすごく覚えてますね」

浦上「マジ? そんなこと言った?」

小島「そういうことを言えるイメージはそのときからあったね。仲がいいと言えないとか、あまりそうやって味方に言える選手はいないけど、仁騎は違った。確かにその試合はチームとしても自分としても良くなくて、それでロッカーに戻ったらそう言われたから、はっきりと覚えているね」

浦上「そいつ、偉そうやなー(笑)。俺は本当に、特にJr.ユースのときは苦しい思い出しかない。めちゃくちゃ怒られていたし、自分の学年になってやっと試合に出られたから苦しくて 苦い思い出だらけ。ただ、高3のときにプリンスリーグからプレミアリーグに昇格させた試合は一番印象に残っているね」

──辞めたいとは思わなかったのですか?

浦上「結果で見返したいという思いが強かったです。辞めたいと思うときもいっぱいありましたけど、ここで辞めたら逃げることになる。見返したい思いが強かったからこそ何とかやれました。Jr.ユースのときは帰り道に泣いて、一緒に帰る先輩がいつも慰めてくれてましたから」

小島「俺はまったく心配してなかった(笑)」

浦上「だろうね(笑)」

小島「正直、それは個人が決めることだから。『辞めたい』と言い出していたら止めていたと思うけど、そうじゃなかったから、辞めちゃうとも思っていなかったし」

浦上「たしかに、なんだかんだ練習には毎日行っていたからね」

──いまだから笑える話は?

小島「腐ったみかんでしょ(笑)。Jr.ユースのときのミーティングで仁騎が急にそう言われて、さすがに『え?』ってなったよね」

浦上「俺にとっては一切、笑い話ではないですね(笑)。やばかったよ」

──浦上選手は真面目でリーダシップのある選手だと……。

二人「全然」

浦上「やろうとはするし頑張るけど、実力が足りないから周りについていくので必死で、ときには不貞腐れていたんだと思います。納得いかないと態度に出ちゃうところはありましたね」

小島「それはあったかもね。態度に出ちゃってた。当時、チームのルールとして監督と話すときは目を合わせないといけなかったけど、下を向いていて目が合っていなかったから、『お前はこのエンブレムをつける資格がない』って言われてゲームシャツを脱がされそうになってたよね」

浦上「『すみません、やめてください』と謝った(笑)。さすがに、外で上裸は恥ずかしいもん……(笑)」

小島「仁騎の怒られエピソードはもう1個あるよ」

浦上「めちゃめちゃあるな(笑)」

小島「試合中、腕立てさせられていたよね?」

浦上「あれは俺が悪かった。試合中、レフリーにけっこう文句を言っちゃって、交代させられて、『終わるまで腕立てしとけ』と。でも、ずっとはできないから、(中村)順さんが見ていないときは休んで、見そうになったら必死にやっていたら、チームメートが心配して水を持ってきてくれたんだけど、『心配している余裕あるんけー』ってそいつも怒られて一緒に腕立てさせられたね(笑)」

小島「そうだったんだ(笑)。でも、ムードメーカーだったから、楽しい思い出もあるでしょ?」

浦上「それはコーチたちがいないときよ(笑)。ロッカーで着替えているときとかね」

──そんなアカデミー時代に培われたものは?

浦上「忍耐力ですね。自分では雑草魂と言っているけど、それに尽きます。大宮のJr.ユースに入ってからずっと常に下から這い上がるサッカー人生で、主力ではなかった。だから、そこの精神は培われました。幹敏も雅史も(高山)和真も俺にはエリートに見えていました」

小島「技術やサッカー観はすごく養われました。このころから技術をすごく大切にしていました。フィジカルなサッカーをやっていたらまた違っただろうけど、あそこで学んだことは一生モノだと思います。技術を養うには大事な時期でしたね。でも、トップチームの試合はまったく観てなかった……。チケット渡されても先輩と前半で帰っちゃうくらい(苦笑)」

浦上「誰かこの選手というよりも、本当に憧れのJリーグの試合を観ている感じ。キラキラしていたもん。とにかくあの舞台がすごくて、J1だったからお客さんも多くてさいたまダービーもあったよね」

──高校は別々です。

浦上「ユースの寮に入って、そこから西武台高校に通っていました。自転車で20~30分くらいで、雨の日はちょっときつかったかな」

小島「俺は実家で、志木まで自転車で行っていましたけど、苦ではなかったかな。サッカーが楽しかったから。チームメートとしゃべるのも楽しくて、他に誘惑とかもなかったね」

浦上「幹敏はそういう感じだったよね。俺は、西武台はサッカー部も強くて、サッカー部の子たちと仲が良かったから部活に入ったほうがいいかなと思うことはあったよ。部活って一体感あるし、こっちなら試合に出られるかもと思ったこともあったし」

プロ選手として再会を果たす

──その後、小島選手はトップチームに昇格し、浦上選手は東洋大学に進学しました。交流は続いていました?

小島「まったくなかったですね(笑)」

浦上「本当にたまにくらい。幹敏が点を取ったら連絡するくらい」

小島「あとは年末の集まりとかフットサルとか。雅史ともそうだったから。そもそも、俺があまり連絡を取らない人だからね」

浦上「俺のことはまったく気にかけてなかったでしょ」

小島「うん、まったく(笑)。さすがにそのあと、仁騎が長野に入ったのは知っていたけど、特に連絡は取ってないよね。甲府に移籍したくらいかな」

浦上「昨季は対戦したもんね。でも、そんなに意識してなかったと思う」

小島「『仁騎、いるなー』くらい」

──今回の移籍は相談しました?

浦上「相談はしていましたね」

小島「ちょうどオファーが来たタイミングで、俺と雅史と3人でご飯食べて、そういう話になったよね」

浦上「もともとご飯に行く予定にはなっていて、そのなかでオファーをもらったんだよね」

小島「ちょうど、雅史もそういう状況で、『3人でやろうよ』と言おうと思えば言えた。でも、『それは違うよね。こういう世界だから自分の好きな選択肢を、誰がいるからではなく、自分の価値観で選ぼう』と言った気がする」

浦上「そのときも迷っていた時期だった。自分もチームを選ぶ基準に、『誰かがいるから』はないけど、意見やチームのことは聞きたいし、集まっていろいろと話したけど、揺らいでいた時期ではあったね」

小島「だから、俺は口説かない。それはどの選手に対してもそう。選ぶのは自分だから。でも、仁騎は何となく来ると思っていた。揺らいでいるなら来るだろうなと(笑)」

浦上「なるほどね(笑)」

──8年越しにチームメートになり、前に小島幹敏がいる頼もしさ、後ろに浦上仁騎がいる安心感はあります?

二人「ありますね」

浦上「最初の話にも出てきましたけど、俺は幹敏にもっとやってほしいと思っていました。うまいけど、どこか戦えていないと感じていたから。それが、プロに入っていろいろと揉まれ、水戸にも行き、すごく変わっていた。よく筋トレもしているし、本当に頼もしくなったと思います。いろいろな経験をして揉まれてきたのがすごく伝わってきました」

小島「昨季、甲府と対戦したときにすごく嫌だったしうまかった。一緒になってやってみるとその理由はすごく分かるというか、頼もしくなったと思います。ユースのころとはぜんぜん違うと感じましたね」

浦上「めちゃくちゃうれしいな(笑)」

アカデミーへの思い

──やはり、アカデミー出身選手の存在は意識します?

二人「しますね」

浦上「アカデミー育ちの選手が活躍して勝つのはすごく大事です。ファン・サポーターの方たちも、そういう選手が出てくれたほうが絶対にうれしいでしょうし、応援しがいがあると思います。アカデミー出身選手が先頭に立って、大宮アルディージャというクラブを変えていかないといけないと思っているので、試合に出るだけでなくてよいパフォーマンスをし続けることがとても大事。どんどん試合に出て勝利に貢献する必要がもっともっとあると思います」

小島「チームスポーツだから難しいところもあるけど、俺は勝手に仲間意識があります。だから、ふがいないプレーをしてほしくない。戦えないと言われるのはイヤ。いま、試合に出ている(高柳)郁弥とシバ(柴山)には要求していきたいです。すごく戦ってほしいし、すごく活躍してほしい。その気持ちは忘れないでやってほしいです」

浦上「幹敏はしゃべるとしっかり熱を持っているよね」

小島「本当はね(笑)。だから、試合中に郁弥やシバには簡単なミスをしてほしくない。戦えない姿を見せてほしくない。シバにはけっこう要求しているし、自分も自覚が少しずつ出てきている。仁騎はそういうところを分かっているから、締めるところはしっかりと締めてくれて、雰囲気もよくしてくれる。言える選手は絶対に大事だから」

──いま、アカデミーで頑張ってプロを目指している後輩たち伝えたいことは?

浦上「大宮アルディージャというクラブは指導者に恵まれています。サッカーもうまくなるし、いろいろなことを教えてくれる。そこにプラスして、戦う姿勢や絶対的な武器、一人でも戦える特長を身に付けることができればいいと思います。俺を目指してとは言えないけど、将来、そういう選手たちと一緒にプレーできればうれしいです。いまは本当に一生懸命にひたすらにやる時期だと思うので、頑張ってほしいですね」

小島「さっきも言いましたけど、サッカーが楽しかった。俺はそれだけでした。練習も試合も楽しくて、サッカーが好きでやっていたので、その気持ちが必要だと思います。仁騎が辞めなかったのも純粋にサッカーが好きで楽しかったはずだから。あとは、ラクをしないこと。ただ、ボールを蹴ってわーという楽しさではなく、本当に走り切ったなかでの楽しさがある。それをたくさん経験したら成長できると思います」

──では最後に、二人にとって大宮アルディージャとは?

小島「いままでは何とも思ってなかった(笑)」

浦上「それはヤバいよ(笑)」

小島「でも、歳を重ねるにつれて思いは出てきました。地元だし、地元にある唯一のクラブに小さいころからお世話になり、そこで育っているのはすごいことなんだと。だから、このクラブで結果を残したい気持ちは年々強くなっています」

浦上「たくさん怒られてきたけど、それでも好きなクラブ。いまの自分がいるのは、間違いなくJr.ユース、ユースと過ごしたあの6年間があったからこそだと思うので、その意味でこのクラブに恩返しをしたい。それは結果もそうだし、何かが伝わるようなプレーを届けたい。このクラブと一緒に成長していきたいです」

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