クラブ創立25周年記念 OB選手インタビュー
森田浩史(大宮アルディージャU18監督)

クラブ創立25周年を記念して、大宮アルディージャでプレーしたOBたちにインタビューする本企画。第2回は2004年の夏から2008年まで大宮アルディージャでプレーした、森田浩史U18監督に話を聞きました。

聞き手=粕川 哲男

“89分の男”が過ごした幸せな4年半


加入後初出場でいきなり得点

――森田さんがアルディージャに移籍してきたのは2004年。三浦俊也監督の下、6年目のJ2リーグで22試合を戦い終えていた7月でした。
「当時、僕はJ1のアルビレックス新潟にいて、その年の前半戦(1stステージ)はあまり試合に出られていませんでした。2ndステージまでの中断期間にキャンプをやっていて、そこまで佐久間 (悟/現ヴァンフォーレ甲府社長) さんが来てくださった。そこで、移籍のお話をいただいた感じでした」

――アルディージャでのデビュー戦は7月24日、埼玉スタジアム2002で行われた第23節ベガルタ仙台戦。途中出場で、いきなりゴールを決めました。
「僕は2003年に新潟に加入したんですが、ケガもあってシーズンの途中からあまり試合に出られなくなりました。新潟がJ1昇格を決めたなか、自分としては納得いくような活躍を見せることができず、昇格に貢献したという実感もありませんでした。だから、大宮から話をいただいたときも、最初はようやくJ1にたどり着いたのに、またJ2の舞台に戻るのか……という気持ちがあって、すごく悩んだんです。でもやっぱり試合に出たい、出たほうが絶対いいということで移籍を決めて、最初は途中出場が多かったのかな。そんななかである程度結果を残すことができて、途中からスタメンになって、コンスタントに得点を決めてJ1昇格を達成することができた。そんな年だったので、前年とは違って自分がJ1昇格にしっかり絡めた、貢献できたという手応えがありました」

J1昇格を決めた2004年の第42節・水戸戦では先制点を挙げる活躍を見せた

――加入から4カ月で21試合出場10得点。森田さんの活躍がなければ、アルディージャのJ1昇格はなかったかもしれません。
「いま、選手キャリアを終えて振り返ってみると、あの半年間っていうのは、自分が一番活躍できた時期だったのかなと思います。期限付き移籍だったので、最初は半年で新潟に帰るつもりでしたけどね()

――2005年に期限付き移籍を延長して、2006年に完全移籍。2008年まで在籍しました。印象に残っているチームメート、一緒にプレーして楽しかった選手は?
「僕が在籍した時期は、一つ上の学年が多かったんですよね。冨田(大介)選手と久永(辰徳)選手がいて、僕と同じタイミングで西村(卓朗)選手が来て、2005年になったら藤本(主税)選手、2006年には吉原(宏太)選手と小林慶行選手が入ったのかな。すごく歳の近い先輩方に可愛がってもらったというか、仲良くしてもらって、ピッチ外も含めて楽しい時間を過ごせました。大宮にいた4年半で、いい仲間に巡り合えました」

左から小林大悟、冨田大介、レアンドロ、森田、デニスマルケス、小林慶行


終了間際に決める勝負強さ

――アルディージャでは117試合出場22得点。特に覚えているゴールは?
「一番は……2007年のダービー(200791日・第24)になっちゃうのかな。僕は、特にJ1に上がってからはたくさん点を取れた選手ではなかったので、自分が点を取った試合は覚えていますね。2005年の天皇杯・準々決勝で鹿島アントラーズに勝った試合とか。あとは、最後の最後に得点を決めたJ1開幕のアウェイのガンバ大阪戦(200535日・第1)とか、FC東京と3-3で引き分けた試合(200558日・第11)とか」


2007年の第24節・浦和戦。森田が右足で決めたゴールが決勝点となりアウェイで勝利を収めた

――調べてみたら、89分のゴールが6点もありました。しかも、決勝点や同点弾が多く、負けた試合は1試合もない。「89分の男」とも呼ばれましたよね。
「昔はアディショナルタイムの得点も全部89分表記だったので、たまたまだと思いますよ。ただ、2004年のアウェイのサガン鳥栖戦(39)と次のホームの川崎フロンターレ戦(40)2試合連続89分のゴールが決勝点になったときは、これはオフィシャルかどうか分からないですけど、初めてと聞いたような、聞かなかったような……。たぶん、もっと早く取れよって話だと思うんですけどね。巡り合わせなのかな。そういう意味でも、僕のなかでも記憶に残っているゴールは多いですね。6点もありましたか?」

――いま挙げた以外で言うと、2006年8月30日・第21節のアビスパ福岡戦、2008年4月30日・第9節のG大阪戦も89分。とにかく、すごい数です。
「まぁ、途中出場が多かったですからね。特にJ1になってからは、追いかける展開とか拮抗した試合で出ることが多かった。そのせいじゃないですかね。どうして取れたのかを言葉で説明するのは、やっぱり難しいですね」


2006年の第21節・福岡戦。89分のゴールは全部で6点と、終盤の勝負強さでファン・サポーターに強烈なインパクトを残した

――アルディージャで過ごした4年半は、森田さんにとってどんな日々でしたか?
「さっきも言いましたけど、半年したら新潟に帰って、またJ1で頑張るんだって気持ちで大宮に来たんですけど、そこからの4年半が僕にとってものすごくいい時間になりました。呼んでくれた佐久間さんには感謝しています。いまも働かせてもらっていますけど、このクラブに、僕のサッカー人生を本当に良いものにしてもらったという気持ちがあります。結局10年間プロサッカー選手を続けさせていただきましたけど、ここで過ごした4年半が一番濃かったと言えます」

 

指導者として大宮に帰還

――現役引退後の2011年に指導者としてアルディージャに戻ってきました。
「僕から岡本(武行/現大宮アルディージャVENTUS監督)さんにお願いなどして、最初はスクールでの指導から始めさせていただきました」

――福岡教育大学を卒業されていますが、もともと先生というか、指導することに興味があったんですか?
「いやぁ、実際のところ……そこまでの思いはなかったかな。サッカー選手を辞めなきゃいけなくなったとき、やっぱりサッカー選手よりもやりたい職業はないと気づいたなか、サッカーに関わる仕事ができたら幸せかなと考えて指導者の道を歩み始めた感じなので。指導者になって思ったのは、自分でサッカーするのと誰かにサッカーをやってもらうのは、まったく別だということ。最初は本当に何も分からないなか、周りの経験あるいろいろなコーチの真似から始めました」

――ちなみに、教員免許は?
「中高の体育と、小学校は全教科になるんですかね。教育実習にも行きましたよ。でも、特に現役のころは、自分は指導者に向いていないと思ってたんです」

――どうしてですか?
「子供は好きなんですけどね。例えば、選手ができないことがありますってなったときに、指導者というのは、それができるようになるにはこうするんだよとか、こういうやり方があるよと示せる人だと思っていたんです。ただ僕の場合は『なんでできないの?』と先に思っちゃいそうだと、勝手に決めつけていたんです」

――そうやって始めたアカデミーの指導も10年以上になります。
「そうですね。いまも、いろいろな方の指導を見て勉強している感じですけど、自分でも驚くほどやりがいを感じています。いまはU18を担当していますが、アカデミーの指導という仕事がすごく好きですし、楽しく、充実した日々を過ごさせてもらっています」


現在は大宮アルディージャU18の監督としてアカデミーの指導にあたっている

――長く指導するなかで気づいたこと、見えた正解などはありますか?
「う~ん……分かったこと。難しいですね。サッカーのトレンドも変わっていますからね。それと選手は生き物なので、同じ学年を指導していても、まったく同じ選手、同じチームというのは絶対ない。そういう意味では、目の前の選手としっかり向き合うこと。正解が分からないなかサッカーを学び続けていくことが大事なのかな、とは感じています」

――こういう指導は良くなかったと反省するようなことは?
「難しいですね。それが正解なのか不正解なのかは分からないけど、一つ言えるのは、僕らは選手をリモコンで動かしてるわけじゃないってこと。だから、選手自身がしっかりと状況判断して、考えてプレーすることが大事だし、そのためのアイディアを幾つか引き出しに入れてあげることが僕たちの仕事なのかな、と思います。選手から出てくる発想、アイディア、自由を奪い過ぎるのは良くない。そして何より選手自身が楽しくサッカーをプレーできる、そういう活動をしていくことが大事と言うか、大事にしているつもりです。すみません、答えになっていなくて」

――それでは、森田さん自身が感じている指導者としての楽しさは?
「いろいろあります。試合に勝ったとき、イメージどおりのトレーニングができたとき、選手たちとピッチ外で他愛もない話をしているとき、ふざけた感じで接しているときにも楽しさを感じます。もちろん良くない瞬間、うまくいかないときとか、負けて悩むこともありますけど、トータルで見たときに育成年代の選手たちと一緒に活動すること自体が、自分のなかではすごく良い時間だと感じています」

 

選手とともに成長を実感

――今年トップチームに昇格した阿部来誠選手が、U12時代からずっと指導してきた世代ですよね。
「はい。僕が育成に来て1年目のときに、小学校3年生だった阿部来誠がセレクションに参加してくれました。小学校4年生、5年生、6年生と担当して中1で一度離れましたが、中2、中3とまた指導して、最後に高校3年生のときにも担当しました。ありがたいことにU12U15U18とすべてのカテゴリーの指導を経験させてもらうなか、彼らの世代が同じように大きくなっていきました。だから僕自身は指導者として、彼らの学年の子たちから学んだことが一番多いと感じています」

――トップチームまで送り出せた感慨深さがあるんじゃないですか?
「いやいや、そんな想いはあまりないですけど、プロの選手になりたいってアカデミーで頑張ってきた子が、実際プロになれた。少しでもそのお手伝いができたならよかったとは思います。今年U18からトップに昇格したのは一人でしたけど、他の選手たちはみんな大学に行ったので、4年後、もっとたくさんの選手がプロの世界に入ってきてくれたらと期待しています」

――最後に今後の目標、夢を聞かせてください。
「具体的な目標は、そんなにないんですよね。ただ一番は、そうですね……アカデミーの選手たちがより良い一日を過ごし、より良いトレーニングができれば。プロになるための大事な日々を充実したもの、良いものにしてあげられたらいいのかな、と思います。そのためには自分自身もっともっと力をつけていかなければいけないし、やっぱり現場が好きなので、1年でも、1日でも長く指導者としてピッチに立てるように頑張っていきたいと思っています」

――それは、いま指導してもらっている子供たちにとってもうれしい言葉ですね。
「現役のころ、指導者になってる自分の画を思い描けなかったのと同じで、トップチームの監督をしている姿はイメージできないんですよね。もちろん、トップにいきたくないとか、やりたくないとかではないんですけど。アカデミーの指導を10年以上やらせてもらって、自分はアカデミーの指導者の方が向いているんじゃないかという思いもありますし。プロの選手たちを指導できる力をつけていくことも大事だとは思いますが、いまは、目の前にいる子供たちの人生を豊かなものにしてあげたい気持ちの方が強いですね。いまの仕事を長く続けられたらうれしいですし、そのためには、子供たちに良い活動をさせてあげられる指導者にならなきゃいけない。いまは、目の前にいる選手たちに向き合って、彼らがより良い活動ができるように突き詰めて頑張っていくだけ、と考えています」

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