【ライターコラム「春夏秋橙」】心を一つにして、この局面をともに乗り越えよう

ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”する記者の視点でお届けする本コーナー。今回は相馬直樹 前監督からバトンを引き継いだ原崎政人 監督について、長年、クラブを取材している戸塚啓 記者にあらためて紹介してもらいました。

【ライターコラム「春夏秋橙」】戸塚 啓
心を一つにして、この局面をともに乗り越えよう


クラブが監督交代に踏み切った。

524日に記者会見が行なわれ、原博実 フットボール本部長が「なかなか連敗が止まらない中で岡山戦でやっと引分けたものの、いわき戦で負けてしまいました。ここ最近の失点の仕方やチームのいまの状況を考えたときに、何か手を打たなければいけないと考えました」と、監督交代の経緯を説明した。

新監督には原崎政人 ヘッドコーチが昇格した。相馬直樹 前監督を支えきれなかったことに対して、「非常に悔しいですし、力不足を感じるとともに、すごく責任を感じています」と、厳しい表情で話した。続けて、「まだ選手たちの気持ちは死んでいないですし、もう一度思い切って勇気を持って戦える、そういったチームを作るために自分がやれることがあるのではないかという思いで、監督の職を引き受けることにしました」と決意を言葉にした。

古くからのファン・サポーターなら、現役当時の彼を思い出すかもしれない。J2初年度の1999年にベルマーレ平塚から移籍し、03年まで5シーズンにわたって中心選手として活躍した。のちに国際舞台でも采配をふるうピム・ファーベーク、三浦俊也、ヘンク、菅野将晃と、指揮官が代わっても起用されていったのは、そのクオリティを示しているだろう。

サイドハーフの印象が強いが、SBでも起用された。それもまた、監督を問わずにピッチに立った理由に挙げられる。クラブの黎明期を支えた一人と言っていいだろう。

ヘッドコーチ当時は、試合前にCB相手にキックを蹴っていた。現役時代を彷彿されるきれいなフォームから、左足を振り抜いていた。 

04年にベガルタ仙台へ移籍し、同年に現役を退いた。引退後は大宮に復帰し、育成年代や東洋大学でコーチを務めた。18年以降は大宮、V・ファーレン長崎、仙台でトップチームのコーチを務め、2111月から229月までは仙台で監督を務めた。

8試合連続で勝利から遠ざかるチームを託され、就任初戦は古巣の仙台とホームで引分けた。仙台も苦しんでいるが、保有戦力はJ2屈指だ。難しい相手に先制されるものの後半ははっきりと押し込み、必然と言っていい同点弾で勝点1をつかんだ。

しかし、続くヴァンフォーレ甲府戦は厳しい現実を突きつけられる。前半開始早々と後半開始直後に失点するのは、勝てていないチームの失点パターンとして典型的だ。59分に富山貴光のヘッドで1点差としたものの、そこから3失点で1-5まで引き離されてしまう。5失点は今シーズン最多だ。

監督交代ですぐにチームが上向くとは、おそらく誰も考えていないだろう。誰が監督でも大変な仕事だ。 

63日の水戸ホーリーホック戦、11日の藤枝MYFC戦と、NACK5スタジアム大宮でのホームゲームが続く。何とかしてここで、負の流れを断ち切りたい。 

クラブに関わるすべての人が、心を一つにして戦いたい。一人ひとりの思いをそろえて、重ねて、原崎監督と選手たちを後押ししたい。

クラブの歴史をも左右する重要な局面を、ともに乗り越えるために。



戸塚 啓(とつか けい)

1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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