【ライターコラム「春夏秋橙」】アカデミーから世界へ。奥抜侃志の挑戦は続く

ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”する記者の視点でお届けする本コーナー。今回はニュルンベルクへの完全移籍が決まった奥抜侃志 選手について、戸塚啓 記者に振り返ってもらいました。

【ライターコラム「春夏秋橙」】戸塚 啓
アカデミーから世界へ。奥抜侃志の挑戦は続く


奥抜侃志が、大宮アルディージャから世界へ羽ばたく。ドイツ・ブンデスリーガ2部の1.FCニュルンベルクへの完全移籍が発表されたのだ。ポーランド1部のクラブへの期限付き移籍を経て、いよいよヨーロッパの主要リーグへ飛び込むことになる。

アカデミー出身のドリブラーとして、奥抜は18年にトップチームに昇格した。Jリーグデビューは同年4月のアルビレックス新潟戦で、三門雄大、大山啓輔、ロビン・シモヴィッチ、大前元紀らに囲まれて先発でピッチに立った。

この試合は大前のFKで1-0の勝利をつかむのだが、奥抜もインパクトを残した。30分過ぎにハーフライン付近でパスを受けると、クルッという音がするようなターンで相手を置き去りにする。そのままドリブルで持ち運び、際どいシュートを放った。


印象的な試合はまだある。

まずは19年9月のV・ファーレン長崎戦だ。奥抜のドリブルが、序盤から相手守備陣を翻弄した一戦である。16分にはハイプレスで奪ったボールを受け、左サイドから小刻みなドリブルでボールを運ぶと、ゴール右スミへ流し込んだ。GKは見送るしかなかった。


ドリブルがストロングポイントなのは、誰もが知るところである。対戦相手も警戒してくるだけに、ドリブルではない武器も磨いていきたい。

その意味で触れたいのは、21年シーズンの開幕戦だ。1-1で迎えた終盤に、右サイドからのクロスをヘディングで突き刺した。


同年9月の愛媛FC戦でも、右サイドからのクロスをヘディングシュートに結びつけた。チャンスメークにとどまらずゴールを決めていくことで、アタッカーは価値を高めていくものである。


奥抜が新天地とするニュルンベルクは、長谷部誠、金崎夢生、清武弘嗣、久保裕也が所属したクラブとして知られている。古くはFWウリ・ヘーネスやDFシュテファン・ロイター、GKアンドレアス・ケプケらのW杯プレーヤーも在籍している。ブンデスリーガ得点王の経歴を持つFWシュテファン・キースリングが、プロデビューを飾ったクラブでもある。

黄金時代は1920年代で、近年は4シーズン連続で2部にとどまっている。昨シーズンは14位に終わった。「古豪」の位置づけがふさわしいだろう。

チームには林大地がいる。シントトロイデンからローン移籍で加入した26歳との共闘は、お互いにとって心強いものとなるはずだ。

ヨーロッパでプレーする日本人選手は、チーム力を押し上げる活躍が求められる。アタッカーなら数字だ。泥臭くてもいから、得点やアシストを積み上げていく必要がある。

大宮から海外クラブへ飛躍した選手と言えば、川島永嗣が思い浮かぶ。高校卒業とともに大宮でプロキャリアをスタートさせ、国内の複数クラブを経てヨーロッパへ進路をとった。

小林大悟も大宮からヨーロッパへ渡った。東京ヴェルディから大宮へ加入して3シーズンを過ごし、ノルウェー1部のクラブへ新天地を求めた。

大宮を経由して海外のクラブでプレーした選手は、彼ら以外にもいる。ただ。アカデミー出身選手は奥抜が初めてだ。その意味で、今回の移籍はクラブの歴史に刻まれるものだ。プロ予備軍の選手たちにも、大きな励みになる。

99年8月生まれの奥抜は、もうすぐ24歳になる。若手ではない。ステップアップの階段を登っていくためには、1年目から結果を出していかなければならない。

ブンデスリーガ2部は、7月最終週に開幕する。奥抜の活躍を伝えるニュースが、ドイツから数多く届くことを祈って──。



戸塚 啓(とつか けい)

1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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