【ライターコラム「春夏秋橙」】「いまが、このクラブに恩返しできる最初のチャンス」

ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”する記者の視点でお届けする本コーナー。今回は、74日にFC町田ゼルビアから期限付き移籍での加入が発表された黒川淳史 選手に、オフィシャルライターの平野貴也 記者が現在の心境などを聞きました。

【ライターコラム「春夏秋橙」】平野 貴也
「いまが、このクラブに恩返しできる最初のチャンス」


より強めた得点へのこだわり

黒川淳史が、再びオレンジのユニフォームに袖を通した。クラブを離れて、まだ1年半。半数の選手は見知った仲だ。周囲とコミュニケーションを取りながら練習する姿には、何の違和感もない。ただ、何の気兼ねもなく楽しめているかと言えば、明らかに違う。練習に合流して2日後、黒川は心境を語った。

「こういう状況ですけど、自分の力が少しでも結果につながれば。僕がずば抜けて(力になる)ということはないですけど、少しでも自分の力を加味して、一つの歯車になれれば、良い方向に行けると思う。半年、首位のチームで見てきたモノ、チームに必要な部分があれば伝えていければいいと思います」

クラブも自分自身も苦しい状況に立たされている。チームは、J2最下位。残留が危うい、危機的な状況にある。黒川は、首位を走るFC町田ゼルビアからの期限付き移籍。町田ではリーグ戦で4試合に途中出場して1得点を挙げたが、出場時間は合計してわずか11分。ケガをしていた時期もあるとはいえ、思うようにプレータイムを得られなかった。自身と、そしてクラブの這い上がろうとするエネルギーを合わせて、シーズンの残り半分を戦うことになる。ピッチの中での役割は、監督が決めるところが大きいが、黒川には、やるべき仕事の意識が明確にある。

クラブを離れてからの1年半。思うような活躍ができたわけではなく、苦しんで来た印象だ。それでも、新たな環境に挑戦して刺激を受けてきた。ジュビロ磐田ではリーグ戦8試合、カップ戦6試合に出場し、J1レベルの選手のプレーエリアの広さを体感。現代では戦術理解によって見えにくくなっている部分に違いを感じたところもあるという。チームのタスクをこなすだけでなく、選手一人ひとりが複数の役割をこなせば、チーム戦術にも幅が出る。黒川は「自分の強みは何か。どこで生きていくか」とあらためて自問自答をする中で、得点へのこだわりを強めていた。中盤のつなぎ役を務めるだけでなく、前に出てゴールを狙う。少ない時間でも点を取ることを重視して取り組んで来た。

アカデミー時代を含め、黒川は攻撃的MFが主な役目だが、シャドーストライカーとしての仕事にこだわりを持つようになっている。町田では、縦に早い攻撃へのフィットを目指した。第6節のいわきFC戦では、0-0だった85分に投入され、87分に決勝点。前線でクロスに飛び込み、こぼれ球を自ら押し込んだ。スルーパスやドリブルといった従来の持ち味ではない形でゴールを陥れたプレーは、苦しみながらも進化を目指してきた証だ。大宮でも狙いは変わらない。果たしたい役割について聞くと「自分で点を取ってチームを勝たせる――それは、一人の力では無理ですけど。しっかりと守備でゼロに抑えて。現状、上(の順位のチーム)に追いつくには勝点1ではなく3が必要。得点は大事になる。どん欲に狙っていきたい」と言い切った。

クラブへの変わらない思い

一人の選手として、目指してきた進化をプレーで示す。それが、新たに所属するチームの力となる。そして、その下支えには、少し複雑な形になりながらも変わらない、強い思いがある。期限付き移籍先の水戸ホーリーホックから戻るとき、そして磐田へ完全移籍したとき。二つの移籍を振り返ると、その思いが見えてくる。 

黒川は、20年のシーズンを前に、期限付き移籍先の水戸から復帰が決まり「大宮を変える」と宣言した。アカデミー出身選手が増え、陰では予算縮小の動きも見えてきていた時期。自分自身に覚悟を突き付けるとともに、思いをともにする同士へのメッセージだった。「(発言に)後悔はないです。なかなか、自分の発信できる部分が少なかったし、結果的に成績が出なくて、できていなかった部分が大きいけど、伝わってくれる人に伝わっていればいいと思います」と話す表情は、硬かった。

20年は15位、21年は16位。黒川は7得点、9得点と中盤の得点源として活躍したが、チームは、18年、19年と続けたJ1昇格争いから大きく後退した。順位を上げられないまま、シーズンを終えて磐田へ移籍。「大宮を変える、と言ってくれたじゃないか」という思いを持つファンやサポーターがいたのも無理はない。黒川にしても、クラブを押し上げてから移籍したい思いは、間違いなくあった。ただ、移籍は自分の意志だけでは実現せず、チャンスがあるときに決断を迫られる。誰もが快く送り出せる移籍にはならないと分かっている中での決断。十分に迷ったからなのだろう。振り返るときの言葉は強かった。

「出て行くときは、誰もが通る道。自分の人生を考えましたし、賛否両論に惑わされてはいけない。軸を通して曲げない意思の堅さは、大事だと思っています。どれだけ(批判的な意見を)言われても、最終的に、良い意味で(大宮に)貢献できれば、自分の中ではハッピー。(決断に)責任を持って成長につなげることが大事。そこを常に考えて、決断しています」

クラブとともに歩む道を離れ、一人の選手として別のルートで成長を目指す決断――他者からは、そう見えたかもしれない。しかし、黒川はどのチームへ移っても「大宮で育ててもらった選手」の意識を持ち続けている。クラブを離れてからも大宮の試合結果や内容は気にしていたという。クラブを離れる苦しい決断と、思うように行かない中でクラブに戻ってくることになったいまは、どうつながっているのか。

「自分の中では、思うような結果を残せなかった部分が大きくて。すごい……何と言うか……悔しい気持ちは大きいですけど。ただ、総合的に判断したときに、このままでいいのか。サッカー選手としての成長はあるのかなど(磐田への移籍は)いろいろな部分で考えた決断。後悔はしていないし、新たな成長にはつながっていると思っています。全員が全員、賛同してくれるわけでもない。ただ、自分のことだけは自分が信じて、それが良い形でお世話になった人たちに恩返しができれば、それが自分の中ではベスト。いまが、このクラブに恩返しできる最初のチャンス。これからもいろいろな形で恩返しはしたいですけど、いま、目の前のタスクに精一杯、いまの力を、全力で注げるように準備したいです」

このクラブで育った一人のサッカー選手として何を見せるのか。活躍の場を移した期間を経て、もう一度、オレンジのユニフォームを着る。クラブへの変わらない気持ちの上に、新たな挑戦で得た力と、一人の選手としての苦境を乗り越える意思を乗せて、黒川はどん欲にゴールを狙う。


平野 貴也(ひらの たかや)
大学卒業後、スポーツナビで編集者として勤務した後、2008年よりフリーで活動。育成年代のサッカーを中心に、さまざまな競技の取材を精力的に行う。大宮アルディージャのオフィシャルライターは、2009年より務めている。

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