【聞きたい放題】シュヴィルツォク「自分が厳しい状況を変えたいと思って、このクラブに来ました」

選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回はこの夏に加入したばかりのシュヴィルツォク選手に、オフィシャルライターの戸塚啓 記者が、自身のルーツや大宮アルディージャの印象について話を聞きました。

聞き手=戸塚 啓

「自分が厳しい状況を変えたいと思って、このクラブに来ました」


少年時代のアイドルはロナウドとオーウェン

──シュヴィルツォク選手のことを大宮のファン・サポーターに知ってもらうために、サッカーをはじめたきっかけからお話を進めましょう。
「サッカーを始めたのは7歳です。その年齢にならないとサッカーチームに入ることができなかったので、父親もサッカーをやっていたので、その影響もありました。それ以前はアイスホッケーをやっていました。と言うのも、私が生まれたポーランドのティヒは、アイスホッケーもとても盛んなのです。7歳からはずっとサッカーをやっていて、一度だけアイスホッケーに戻ったことがありますが、それはごく短い期間でした」 

──友人たちもサッカーをするような環境で?
「そうですね。ポーランドの多くの都市はそうだと思います」

──少年時代のアイドルは?
「ブラジル代表として02年のワールドカップなどで活躍したロナルドと、イングランド代表のマイケル オーウェンです」

──ワールドクラスのストライカーがアイドルだったということは、シュヴィルツォク選手自身もストライカーだったのですね?
「はい、そうです。プロ選手になるのは当時からの夢で、17歳でプロ契約を結びました。その後、ドイツ・ブンデスリーガのカイザースラウテルンへ移籍し、ポーランド国内ではU-18、U-20、U-21の代表に選ばれていきました」

 

周囲のサポートを受け名古屋で結果を出す

──母国のポーランドやドイツ、ブルガリアなどでキャリアを積んでいったシュヴィルツォク選手は、21年にJ1の名古屋グランパスに加入します。極東のクラブへの移籍は、キャリアの大きな転換点だったのではないでしょうか?
「私はつねに、サッカーをすることに最適な場所を選んできました。名古屋グランパスの一員になったことについては、J1リーグのクオリティ、クラブのポテンシャル、日本でのライフスタイル、どれをとっても最適な道だと判断したからでした」

──それ以前に日本へ来たことは?
「ありませんでした」

──初めての来日で居を構える。不安はありませんでしたか?
「いえ、まったくなかったですね。オファーを受けてから日本という国やJリーグ、名古屋グランパスの情報を集めました。日本について知識を持っている友人や知人に、話を聞いたりもしました。そのうえで、名古屋からのオファーは自分にとって良いものだと判断したのです」

──名古屋ではすぐに結果を残しました。
「自分のフィーリングがとても良かったことに加えて、周りの人たちが私を温かく受け入れて、助けてくれました。とくに、スポーツダイレクターだった大森征之さんは、いろいろなことを教えてくれて、いろいろなところへ連れていってくれました。彼は私を一人にしなかった。それはとても重要なことでした。大森さんにはとても感謝しています」

──周囲のサポートがあったとはいえ、まったくの異文化に溶け込むのは簡単でなかったと思いますが?
「そんなことはないですよ。適応して試合で結果を残すのは、私の仕事ですし」

──食事は? 日本食にはすぐに馴染めましたか?
「気に入ったものもあります。ラーメンとかうどんは好きですね。ポーランド料理を食べたいと思うこともありますが、日本のお米も好きですし、お寿司も何度か食べています。自分の好きなレストランを見つけることもできますし、食事については問題ないですね。」

 

疑惑が晴れたドーピングについて

──名古屋在籍時にシュヴィルツォク選手の身に突如降りかかった、ドーピング疑惑についても聞いていいでしょうか?
「いいですよ」

──ご自身の検体から禁止薬物が検出され、活動停止処分を下されましたが、「サプリメントに成分表未記載の禁止薬物が混入していたことが原因」との訴えが認められました。
「最初にそのようなことを聞いたときは、ホントに驚きました。何か特別なことをしたわけではなく、それまでと同じことをしていただけなのですから。なぜ急にそんなことになったのか、ホントにびっくりしたとしか言いようがありませんでした」

──その苦しい時期に、シュヴィルツォク選手の支えとなったものは?
「家族、ガールフレンド、大森さん……みんなが自分の支えになってくれました」

──訴えは認められたものの、名古屋を離れることになりました。
「仕方のないことでしたが、もっと日本でプレーしたかった、という思いはありました。日本という国が好きですし、日本の人々も、サッカーも、日本での生活も好きです。それも、再び日本に来ることになった理由に含まれます」

大宮アルディージャを苦境から救う

──大宮アルディージャは、厳しい状況に立たされています。
「もちろんそれは分かっていました。自分が厳しい状況を変えたいと思って、このクラブに来ました」

──これまでのキャリアで、残留争いの経験はありますか?
「あります。直近のシーズンも、ザグウェンビェ・ルビンで経験しました」

──そこで重要なものとは?
「もっとも重要なのは、目の前の試合に集中することです。残り試合が何試合とか、残留圏と勝点差がいくつあるのかを気にするのではなく、目の前の試合に向けて1週間を過ごす。それが終わったら、次の試合に向けて準備をする。目の前の試合をフォーカスしていくことです」

──合流して数日ですが、チームの雰囲気はどうですか?
「良いです。とても良い。トレーニングを重ねるごとに良くなっていると感じますし、これからもっと良くなると思います。チームには若い選手が多く在籍しているので、彼らの成長の手助けもしたいですね」

──ヨーロッパや南米の選手と比較して、日本人選手は控え目と言われます。シュヴィルツォク選手はどう感じますか? もっと感情を出してもいいのでは、と思う場面がありますか?
「私もそう思います。クオリティを持っている選手が多いので、自分の感情を表に出したり、思っていることをどんどん伝えていったりしたら、持っているクオリティがもっともっと生かされると思います」

──このところも猛烈な暑さが続いています。日本の蒸し暑さはどうでしょう?
「少しずつ、慣れています。来日直後は時差ボケがあって、4時間ぐらいしか寝られませんでした。いまは睡眠もしっかりと取れて、暑さにも慣れてきているので、コンディションも良くなっています」 

──最後にファン・サポーターにメッセージをお願いします。
「大宮アルディージャに来ることができて、とてもうれしいです。ファン・サポーターのみなさんに会えることを楽しみにしています」

──シュヴィルツォク選手のゴールが勝利につながり、チームがJ2残留争いから抜け出すことを期待しています。
「僕自身も期待しています。今日はアリガトウ」

 (このインタビューは7月27日に行なわれました)


戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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