【聞きたい放題】関口凱心「アルディージャではJ2残留、大学では1部昇格を目標に頑張ります」

選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は来季の加入が内定している山梨学院大学所属の関口凱心 選手に、これまでどのようなサッカー人生を歩んできたのか、そして特別指定選手としてもプレーする今季の手応えなどについて話を聞きました。

聞き手=平野 貴也

「アルディージャではJ2残留、大学では1部昇格を目標に頑張ります」


サイドアタッカーだった小学生時代

――今回は生い立ちからルーツをたどりたいと思います。まず「凱心」という名前の由来について教えてください。
「フランスの凱旋門に由来していて、曾祖父が付けてくれたと聞いています。僕が生まれるまで長生きして、たしか(享年は)102歳だったと思います。凱旋門は、勝者が向かうもの。それと『心』のある人間になってほしいという意味を込めてくれたそうです」

――素敵な名前です。サッカーを始めたきっかけと、小学生時代についても教えてください。
「生まれは埼玉県ですが、小学1、2年生のころは家族で東京都に住んでいて、当時の遊びはもっぱら野球でした。でも、3年生のときに埼玉に戻ってきたらみんなサッカーをやっていたので、友だちに誘われて近くのクラブに入りました。そのころは、サイドアタッカー。クラブの練習で左右両足を蹴っていたことは、後に生きたと思います。当時は、足が速くて、リレーはいつもアンカーでした。中学校には帰宅部がなかったので、陸上部に所属していました。大宮アルディージャJr.ユースの練習がない日に参加する程度でしたけど、川口市の大会で1500か3000メートル走どちらか忘れてしまいましたが、2位になったのが最高です」

 

Jr.ユースで挫折を味わう

――大宮アルディージャJr.ユースに入った経緯と、当時の思い出は?
「親からJクラブのセレクションがあると聞いて受けに行ったのがきっかけです。一次テストでしたけど『明日、練習に参加してみない?』と声をかけてもらって、3回くらい参加したら、合格になっていました。アルディージャに入ってから、本当にプロになりたいと思うようになりました。でも、中学1年生の終わりころから、周りのみんなは体が大きくなって、僕より足も速くなって、うまくて……。初めて挫折を味わいました。当時は、あまりサッカーが好きではなかったですね。でも、辞めたら負けのような気もして、サッカーは続けました。フィジカルで勝てなくなってしまったので、相手の視線が切れた瞬間に動き出すなど工夫をしていました。一番の思い出は、中学3年生のときに夏のクラブユース選手権で全国大会に出場したことです。関東大会は、リーグ戦に出ていない選手が多く起用される中で『絶対に、全国に出よう』と言ってみんなで頑張りました。そのころから、やっと身長が伸び始めました。成長期が来るのが、遅かったですね」

――当時の自分に声をかけるとしたら?
「もっとボールタッチやドリブル、ファーストタッチを磨けと言いたいです。相手の重心を見たり、立ち位置を見たりして余裕を持ってボールを持てれば、もっとサッカーは楽しいぞと伝えたいです。当時は、自信がなくて、ボールを取られてしまうことが怖かったので、先のイメージができなくて、消極的なプレーが多かったと思います」

――アカデミー時代に活躍した選手がプロになって戻って来る例はよくありますが、試合に出られなかった選手が戻って来るのは、珍しいと思います。1学年上に高柳郁弥 選手や吉永昇偉 選手(愛媛FC)がいて、1学年下に柴山昌也、大澤朋也の両選手がいますが、当時の印象は?
「あまり試合に出ていなかったので。いまは何か不思議な気はしています。下級生のころはリーグ運営の手伝いをやっていたので、郁弥くんのプレーは見ていました。いまと変わらず、うまくて走れる選手でした。朋也とシバは、僕らの学年でもプレーしていましたし、一緒に練習もしていました。1学年下は、須藤直輝(鹿島アントラーズ)もいました。(同じサイドハーフで)負けたくないとは思っていましたけど、スタメン争いは厳しかったですね。アドバイスを求めたりはしませんでしたけど、下級生からでも良いものは吸収したいと思って見ていました。まさか、プロで一緒にやるとは思っていませんでしたけど」

――当時、NACK5スタジアム大宮でトップチームの試合を見た思い出はありますか。
「中学生のときは、チームでも試合観戦に行きましたし、個人でもスタジアムに行ってました。ピッチとスタンドが近くて、プロの迫力を感じました。メインスタンドかゴール裏の高い位置で見ていたと思います。サイドハーフをやっていたので、家長昭博 選手や泉澤仁 選手のドリブルをよく見ていました。自分は細かいドリブルをするタイプではないですけど(笑)。すごかったですね、全然ボールを取られなくて。2015年のJ2優勝の試合はクラブハウスでJr.ユースのみんなで見て、盛り上がりました。2016年に埼玉スタジアム2002で戦ったダービーも見てました。マテウス選手が2点目を決めて同点にした試合です」

西武台高校での飛躍

――西武台高校で過ごした高校時代についても、進学経緯と思い出を教えてください。
「Jr.ユースで試合に出ていなかったので、自信はなかったですし、最初は出場できそうな高校に進もうと考えていました。ただ、小学生のときのチーム(柳崎SCJ)の代表の方から、西武台を紹介してもらいました。練習に参加したら環境も良かったし、全国高校選手権の出場も狙えるチームだったので、イチから頑張り直そうと思って、進学を決めました。高校に入学してからは、SB、ボランチをやって、高校2年の冬からはCBでした。高校で身長は170センチから179センチまで伸びましたし、足も速くなっていたので、1対1で負ける気はしませんでした。ヘディングも練習していたので弱くはなかったです。一番の思い出は、高校3年(2019年)のインターハイ全国出場です。県大会が厳しい組み合わせだったのですが(※浦和学院、浦和南、正智深谷、武南、聖望学園に勝利。うち3試合はPK戦)、応援も一体になって戦って、楽しかったです)」

――全国大会出場で進路の選択肢は広がったのでは?
「いくつかの大学から声をかけてもらいました。関東1部、2部のチームもありましたが、山梨学院大学の練習の雰囲気が良かったことや、西武台のサッカーと似ていること、高校で1学年上の若谷拓海さん(ギラヴァンツ北九州)が進学して1年生のときから活躍していて、自分も1年生から試合に出たいと思っていたことなどから、山梨学院に進みました。当時は東京都1部の所属でしたが、入学前年にも参入戦に進んでいましたし、すぐに関東リーグに上がって来るチームだと確信していました」

――大学ではボランチでの出場が多いですよね? 関東2部に昇格した今季は、9試合で4得点(第9節終了時点)。6月の亜細亜大学戦ではハットトリックも決めています。
「3点決めた試合より、産業能率大学戦で決めたゴールのほうが、手応えがありました。右サイドに寄ってパスをもらって、FWとワンツーで前に出て、左足で逆サイドにコントロールして決めることができました(ゴールシーンはこちら:https://youtu.be/jpqkpJqb8cQ?t=3523)。大学では、1年生のときはCBで出場していましたが、ポジション的に身長が大きいほうではないので、一本化はしないほうが良いのではないかという話になって、SBとボランチに挑戦したのですが、ボランチのほうが感覚が良くて、2年生からは中盤でのプレーが増えました。その年(21年)のアミノバイタル杯(関東大学サッカートーナメント)と夏の全国大会である総理大臣杯で3位になったことは、自分の人生の分岐点だったかもしれません。多くのJクラブが見に来ていましたし、プロになりたかったので、うれしかったです」

古巣からのオファーとほろ苦デビュー

――古巣である大宮アルディージャから声がかかったときの気持ちは?
「最初に練習参加の話が来たときは、とてもうれしかったです。絶対にオファーをもらおう、大学でやっているプレーを出せば大丈夫だと思って参加しました。高校も大学も、練習に参加して、自分を評価してくれたチームを選んで良かったと思いましたし、アルディージャに行きたいと思っていたので(内定の話をもらって)ほかのクラブも選択肢に持とうという考えにはなりませんでした」

――卒業後の加入が内定すると同時に特別指定選手として今季からトップチームの活動にも参加しています。右SBで出場した清水エスパルス戦は、自分のマークしていた相手にゴールを奪われる苦いデビュー戦でしたね。
「1対1などは通用したところもありましたが、あの失点がすべてだと思います。大学よりも組織的に守るチームなので、守備のポジショニングのところはいまも教わっていて、何とかしなければいけないと感じています」

――今季は、大宮で残留争い、山梨学院で優勝争いと極端な状況の2チームで活動していますが、どんな感覚ですか。今後へ向けた意気込みを聞かせてください。
「大学は相手のボールホルダーにどんどんアタックしていく守備で、攻撃はカウンターが多いです。大宮は、組織的な守備とポゼッション型の攻撃。スタイルが違って難しいところもありますが、どちらのサッカーにも良さがあるので、楽しみながらやっています。今後についてですが、アルディージャでは最下位を脱出して、J2に残留することが目標。大学では、1部昇格を目標に、どちらのチームでも力になれるように頑張ります」


平野 貴也(ひらの たかや)
大学卒業後、スポーツナビで編集者として勤務した後、2008年よりフリーで活動。育成年代のサッカーを中心に、さまざまな競技の取材を精力的に行う。大宮アルディージャのオフィシャルライターは、2009年より務めている。

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