【聞きたい放題】鈴木俊也「常にあの場所を目指し、チームの勝利のためにプレーしたい」

選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は、早稲田大学から今季加入した鈴木俊也選手に、学生時代やプライベート、近況などについて話を聞きました。

聞き手=須賀 大輔

「常にあの場所を目指し、チームの勝利のためにプレーしたい」


加入内定の経緯

――サポーターの方々の中でもまだまだ謎に包まれた選手だと思います。
「そうですよね。最初、サポーターの方にも『君が鈴木俊也くんか』って言われました()。もうちょっと知名度を上げていかないといけないですね」

――一見、クールで言葉も少ない選手かと思っていたら、完全に裏切られました(笑)。
「なぜかそれはよく言われんですよ()。全然そうではないですから。人と話すのは好きですし、いろいろな人とお話したいので、どんどん話しかけてください」

――では、いろいろと聞かせください。まずは、2021年の3月に加入の内定が発表された以降の流れを教えてもらえますか。
「大学2年の2月中には契約は済んでいて、3月の頭には発表になりました。そこから、J23節・SC相模原戦に出させてもらいました。本当は、そのあとも大宮の練習に参加したかったのですが、大学のリーグ戦が始まったり、監督が交代したりと、いろいろと重なってしまい、自分が想像していたよりも大宮の練習に参加できませんでした」

――加入内定直後の監督交代は想像していなかったと思います。
「最初に監督が代わると聞いたときはすごく不安になりました。僕を認めてくれた監督や強化部長がいなくなるということは、ゼロからのスタートでアピールをしないといけない。そこに焦りも感じました。ただ、チャンスだとも思えて、不安に思っていたところも強化部の方から電話をいただきましたし、大学のグラウンドまで足を運んでもらい、直接、言葉で伝えてもらったので、そのときは、チームが変わっていくことをポジティブにとらえようと思っていました」

――そこからさらに監督が代わりました。
「『2年後にこのチームに加入したらこういう役割を担う』と思っていたSB像からはガラリと変わってしまい、不安もあったし、難しいところもありました。ただ、早稲田大学の監督とも話していくなかで、『結局、監督は代わるものだし、自分がチームを動けば監督は代わる。そこで価値を見出せない選手になるのか、それとも、そのときの監督に認められて出場機会をつかむのか。せっかく内定をもらっているなら、後者の選手になるように取り組むべきではないか』と話をしていただき、そこで『やるしかない』と思えました。不安に思う時間はもったいないと感じましたね」

――アドバイスをくれたのは外池亮監督ですか?
「そうです。外池さんも『俺はたくさんのチームをクビなったし、いろいろなチームを転々とした。トライアウトにも行った。それでも、そこで違う監督に見つけてもらった』と話してくれました。その言葉は支えになりましたね」 

――そもそもですけど、大学2年生の冬によく加入を決断しましたね。
「僕のイメージでは、もっと大宮の練習に来たかったです。契約を交わすときに、強化部の方とと外池さん、早稲田のサッカー部の部長と同じ席で話す中で『大学のゲームに差し支えのない範囲で、大宮で経験を積ませてあげてほしい』と早稲田側がお願いしてくれていました。だから、もっともっと大宮の練習に参加してJリーグの試合に出たかったのが本音です。その思いがあったから、あのタイミングで加入を決めました。それが一番の理由ですね」

――そう考えると、今季が待ち遠しくて仕方なかったのではないですか?
「とにかく早く今季が来てほしかったですね。ただ、大学4年の秋に右ヒザの半月板をケガしてしまいました。928日です。はっきりと覚えています。それで10月の頭にはすぐに手術をしたので、残り12カ月くらいあった部の活動はできなくなってしまいました。そこから本当は今季の始動日に合流することを目標にリハビリに取り組んでいたんですけど、その過程でうまくいかないことも多かったです。ヒザがすぐに腫れてしまうなど、なかなかコンディションが上がらず、想定よりも時間がかかってしまいました」

ヒザの状態と向き合う日々

――そのケガの影響もあり、今季チームに加わってからも復帰と離脱を繰り返してしまっていますが、いまのコンディションはいかがですか?
「シーズン当初に比べたら患部の状態は悪くないし、ボールのフィーリングやフィジカルもだいぶ上がってきています。ただ、波は絶対にあります。だから、うまく付き合いながらやっていこうと考えるようにしました。それからはもっともっと体のことやコンディションを意識するようになりましたね」

――そのように考え方を変えられた理由はなんですか?
「『もう治らない』とちょっとネガティブになってしまう時期もあったんですけど、“治らない”と“プレーできない”はイコールじゃないと考えるようにして、プレーしながらでも痛みの程度はコントロールできると思うようになってからは、メンタルもだいぶ変わりました。『こういう日もあるよな』と捉えられるようになったし、『オフを挟めば来週は良い状態を取り戻せるな』とか、そういう感覚をつかめてきたのはポジティブですね」

――痛みよりも、ボールを蹴れる喜び、ピッチに立てるうれしさが勝るんでしょうね。
「リハビリはつまらないですからね……。別メニューだとどうしてもみんなと同じことができないので、ロッカーに帰ってきても同じ話ができない。もちろん、ピッチ外のコミュニケーションはたくさん取るけど、サッカーの話ができないのは、同じ職場の人と仕事の話をできない感じで辛かったので、今はみんなと一緒にサッカーできるのがうれしいです」

――その中、7月16日の栃木SC戦でNACK5スタジアム大宮のピッチに立った思いはどうでしたか?
「ピッチに立った瞬間、すごくうれしかったのは覚えています。このためにサッカーをやっているんだ、たくさんの人に『待っていたよ』、『おかえり』、『次も期待しているよ』と声をかけてもらい、それがこの仕事の一番のモチベーションなんだ、と思えました。もちろん、チームも勝てず、満足のいく内容ではなかったので悔しさもありましたけど、常にあの場所を目指し、チームの勝利のためにプレーしたいと思いました」

文武両道の学生時代

――もっと鈴木選手のことを教えてください。FC東京U-15深川から早稲田実業高校、そして早稲田大学のキャリアは少し珍しいですよね。
「早稲田実業って聞くと、だいたい野球か勉強ですよね()。もともと、家の方針で『勉強はちゃんとやってね』と言われていました。別に厳しく言われていたわけではないです。『サッカーだけでなく勉強もね』と。だから、中学のときにある程度の成績を取れていたので、FC東京のU-18に上がれないと分かったときに、いろいろな選択肢はありました。ありがたいことにサッカーの強い高校の練習に参加して、内定ももらっていました。だけど、当時は高校を卒業してすぐにプロになるイメージはできていなくて、大学を含めた7年間でプロにチャレンジしたいと思いました。2歳上の兄がFC東京のU-18に所属しながら早稲田の付属高校に通っていたので、その影響もあり、そういう選択肢を見つけて選びました」 

――かなり勉強したんですか?
「いえいえ。試験は面接と作文でした。ただ、入学してからが大変でしたね(苦笑)。留年はしないように勉強はしていました」

――サッカーのほうはどうだったんですか?
「中学に入ったときはすごく小さくて、身長は下から2番目くらいでした。だから、周りがうまければ生きるタイプで、受けてさばいてを繰り返すみたいな()。そういうプレーが得意だったけど、自分一人で局面を変えたり、ボールを奪ったりということはまったくできなかったです。それが、高校サッカーはロングボールが増えるし、周りにパスをしてもあまり返ってこなかったんです。それなら自分で運んでラストパスを出して決めてもらおうと考えを変えて、そこから自分でドリブルもパスも守備も全部をやるように努力しました。そうやっていくうちに、小中はボランチやサイドハーフしかやってこなかったけど、高1のときは身長の高い先輩と2トップを組み、高2から後ろをやるようになりましたね。CBもやりましたけど、左SBがメインでした」 

――プロを意識したのは大学に進学してからですか?
「そんなこともなくて。高校が東京都3部のリーグで最後に2部には上がったんですけど、自分の立ち位置がぜんぜん分かっていなかったです。このレベルならやれているけど、FC東京U-15深川の同期がU-18に上がって高円宮杯プレミアリーグを戦っている姿を見ると、『自分はあそこに入ってできるのかな』と。それでも、大学に入ってやってみると、1年生のころからある程度試合に絡ませてもらえるようになり、そこから少しずつ意識するようになっていきました。

――大宮から話がきたときは驚きましたか?
2年生のときはリーグ戦で10試合も出ていないくらいでしたからね。大宮のキャンプに呼んでもらえる前に、左利きでSBで身長もそこそこあるという“条件”だけで数チームから外池さんのほうに話はあったみたいですけど、実際にキャンプに呼んでもらえたのは大宮だけで、びっくりしましたよ。でも、それ以上にうれしかったです」

――プレースタイルや特長を教えてください。
「ずっとこだわっているのは、左足のキックです。長いボールというわけではなく、左足で良いところに置いて、長いボールと短いボールを蹴り分けて供給する部分が武器です。中学のときはSBじゃないですけど、ダビド・シルバが大好きでした()

――現代のSBは攻撃力も大事ですよね。
「そのとおりで攻撃はすごく大事だし、アシストする機会もたくさんあると思いますけど、それだけでいいなら攻撃の選手がやればいいと思っています。どれだけ守備にベースを置いてやれるか。SBならそこを大事にしたいです。監督もそこは期待してくれていると思うので、まずはゴールを守る。攻撃に関してはある程度の自信はあるので、意識やベースの配分を間違えずに、失点しないことをしっかりと意識してやっていきたいと思います」

プライベートを深掘り

――プライベートの一面も少し聞かせてください。大学時代のインタビューや公式サイトのプロフィールを読むと、韓国のアイドルの『BLACKPINK』しか出てきませんでした(笑)。
「その言い方、やめてください()。でも、好きですね。友だちの影響でハマりました。しょっちゅうライブ映像を観ています。4人いる中でJENNIE(ジェニー)という子が好きです。可愛くてキレイな魅力的な顔をしています()。アイドルだけどアイドルぽくないというか、とにかくカッコいいんですよ。だから、試合前にライブ映像を観てもテンションが上がります」

――このままだと“BLACKPINK好き”で終わってしまうので他の話もお願いします(笑)。サッカー以外の時間は何をしていますか?
「最近は道を覚えるためにも車の運転はしていますね。やっと少しずつ道を覚えてきました」

――大卒同期の仲は良いですか?
(室井)彗佑はトレセンで一緒になることもあって、小学生のときから知っていました。だから、加入が決まったと聞いたときにすぐに連絡を取りました。(高柳)郁弥のことは知らなかったんですけど、すぐに打ち解けましたね」

――どんなトリオですか?
「郁弥がいじられています()。ちょっと抜けているところがあるので。たぶん、東洋大のときからだと思いますけど、彗佑が郁弥のことをすごくいじっています。ただ、郁弥も言い返すし面白いですよ()

――先輩との付き合いはどうですか?
「トミくん(富山)は大学の先輩でもありますし、すごく気にかけてくれて良くしてくれています。ロッカーも隣で助けてくれています。あと、おかにー(岡庭)FC東京U-15深川の先輩で、ちょうど僕と兄の間なので昔から知っていました」

――最後に、ファン・サポーターにメッセージをお願いします。
「まだピッチでプレーする機会が少なく、あまり言えることはないのですが、練習後に声をかけてくださったサポーターの方と実際に話す機会はたくさんあるし、いろいろな言葉をもらって、『ありがとうございます』と返しますけど、やっぱり、やらないといけないのは練習場ではないですよね。NACK5スタジアム大宮やアウェイのスタジアムでプレーして、チームのために何か結果を残してからだと思いますし、とにかく残りのゲームに向けて最善の準備をしますので、引き続き応援してもらえればと思います」

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