【聞きたい放題】南雄太「南雄太と同じ時代を生きた、素敵な巡り合わせを噛み締めて」

選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は先日、今シーズン限りでの引退を発表した南雄太選手に、限られた最後の現役生活であるラスト3試合に向けて話を聞きました。
※引退を決意した経緯や現役生活を振り返るロングインタビューは、シーズン終了後にデジタルVAMOSで掲載予定です。

聞き手=戸塚 啓

「南雄太と同じ時代を生きた、素敵な巡り合わせを噛み締めて」


残り4試合で引退を発表

スパイクを脱ぐ日は、誰にでも訪れる。

それは分かっている。分かっているのだが、彼の引退発表は寂しさを呼び覚ます。同時に、日本サッカー界への長きにわたる貢献に対して、深い感謝の念が湧きあがる。

1015日、南雄太が今シーズン限りでの引退を発表した。

「どのタイミングがいいのか、クラブとも話をしました。試合がまだあるうちのほうが、いろいろな人に見てもらえると言いますか、シーズンが終わってからの発表になると、どこかこう、突然終わってしまうような感じにもなってしまうので。できればそれは避けたいな、と。少しでもチームのためになればという思いもあって、あのタイミングになりました」

J2リーグ戦が残り4試合でのアナウンスには、チームを鼓舞するメッセージもあったのだろう。実際に直後の藤枝戦は0-2から試合をひっくり返し、J2残留圏との勝点差を縮めた。

「僕の引退発表で、みんなが奮い立ってくれるかどうかは分かりませんが、ちょっとでもそうなってくれればうれしいです。チームはずっと崖っぷちの状態が続いていいますので、何かこう、ちょっとでもプラスになればと」

引退は自然な流れ

ベテランと呼ばれる年齢になってからは、「1年ずつが勝負」との思いを抱いてきた。「ずっと引退と隣合わせでしたね」と、南はうなずく。

「普通に考えたら35歳ぐらいでもすごいと言われる中で、44歳まで現役を続けることができた。良くここまでやったな、と思います」

昨年5月に右足アキレス腱を断裂した。手術と長いリハビリを経て、今シーズンからチームに合流していった。J2リーグと天皇杯に2試合ずつ出場しており、復活への足がかりをつかんでいるようにも見えた。 

「まあでも何となく、流れがそっち(引退)へ行っているなあ、というのは自分で感じたので。今までのサッカー人生の中でも、移籍とか自分が決断するタイミングでは、そういう流れを感じることがあったんですね。で、そういうのに乗っかってきたというか、今はこういう流れだなと思ってそちらへ進んだら、その決断は間違っていなかった。インスタグラムにも書きましたけれど、26年間サッカーをやってきて、辞めたいと思ったことは一度もなくて、今回初めて辞めようという感情が湧きました。だから、たぶんこれが自然な流れだと思います。もう44歳なので、いつそういときが来ても、おかしくはないでしょうし」

刺激を与え立った黄金世代の仲間たち

1979年生まれの南は、「黄金世代」の一人である。そして、99年のワールドユース選手権(現在のU-20ワールドカップ)でともに準優勝を勝ち取った小野伸二と高原直泰も、奇しくも今シーズン限りでスパイクを脱ぐと表明した。

「知り合いとかにも良く聞かれますけれど、彼らの引退とはまったく関係ないです。僕もそうですし、伸二もタカもそうだと思いますが、そんなに安い感情では決断しないでしょうから」

互いの引退はそれぞれの決断だとしても、無言の紐帯とも言うべき精神的な結びつきはあった。お互いの存在が支えとなり、刺激となっていた。

「ああもちろん、それはありますね。同学年の彼らからは、たくさんの刺激をもらってきました。この年齢までやっている選手はホントに少ない中で、僕らの同級生はみんなすごく頑張っていて、つい最近までたくさんの選手が現役でした。今もヤット(遠藤保仁)がやっていますし、稲本(潤一)も違うカテゴリーでやっていますし。お互いが受ける刺激というのは、たぶん他の世代以上のものがあって、自分たちは幸せだったと思います。アイツらに負けないように頑張ろう、というモチベーションは貴重ですからね」

J2通算400試合まであと1試合

現役引退を発表したからといって、日常生活がいきなり変わるわけではない。練習と、試合と、オフを経て、また次の週から練習が始まる。

ただ、一日ずつ引退へ近づいているのは間違いないのだ。練習中はもちろん練習への準備、練習後の身体のケア、そうした合間のチームメートとの会話といったものが、少しずつ特別なものに変わっていくのかもしれない。 

南は申し訳なさそうな笑みを浮かべる。「それが実は、今はまだあまり実感がないんです」と話す。

「と言うのも、毎日それまでと変わりなく過ごしていますので。1112日の最終節へ向けた最後の1週間は、もしかしたら特別な感情になるのかもしれませんが、今のところはそうではなくて。あと3試合でチームがどうなるのかも分かりませんし、僕自身は今までどおり、試合に何とか出られるように練習をしていく、という気持ちなんです。それだけ、ですね」

Jリーグの出場試合数はJ1266J2399を数える。「数字は気にしません」と以前から話しているが、あと1試合でJ2出場は400試合の節目を迎える。

「そうらしいですね。あと一つで、きれいにはなりますよね。J1J2の通算では666試合で、6が三つ並びますし。チームメートに期待して、最後の試合の23分でも出してくれたらと思いますけど、チームがこういう状況ですからね。難しいとは思っています」

川口能活と楢﨑正剛の背中を追いかけた南は、やがて彼自身が追いかけられる存在となった。同じチームでプレーしたGKはもちろん、対戦相手のGKにも刺激を与え、生きる教材となった。23年に30周年を迎えたJリーグに、力強い足跡を残している。

「そんなふうに思っていただけるのならすごくうれしいですし、僕自身も感慨深いです」

南雄太というフットボーラーと同じ時代を生きた、素敵な巡り合わせを噛み締めて。日本サッカー界への長きにわたる貢献に、アルディージャのために戦ってくれたことに、もう一度、拍手を送りたい。


戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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