選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は、第4節・奈良クラブ戦でJリーグ通算150試合出場を達成した中野誠也選手に話を聞きました。
聞き手=戸塚 啓
「あのときの苦しい自分がいて今がある」
チームとしてサッカーの本質を徹底
――Jリーグ通算150試合出場、おめでとうございます。プロ7年目での達成となりました。
「時間がかかってしまったと率直に思いますが、プロサッカー選手として記録を一つ残せたのはうれしいです。節目の試合は親に来てもらったりしましたし、たくさんの方にお祝いの言葉をいただきました」
――さて、チームはすばらしいスタートを切りました。
「監督、コーチが代わり、新しい選手が入ってきて、それまでとまた違った方向性で戦っていて、みんなが一つになって目標へ向かっています。フロントの人たちも含めて、J3優勝を目指している感覚があります」
――外から見ていても、変わったなと感じますね。
「球際や切り替えといったサッカーの本質を徹さん(長澤監督)が強調して、それをみんなが体現しようとしている。そこができない選手は置いていかれるというか、ホントにみんなが愚直にやる、そういう空気感があります」
――長澤監督の働きかけと同時に、選手の皆さんも危機感を強く持っているのでは?
「自分たちが置かれた状況は、間違いなく厳しい。自分たちの手で、まずアルディージャをJ2に戻す。そのために何をやるべきかを、突き詰めてできていると思います」
――選手が入れ替わり、チーム内での立場も変わってきたのでは?
「上の年代になってきているし、副キャプテンに任命してもらっているので、チームに対する働きかけは大事だと思っています。そこは考えるようになっています。試合のメンバーは18人で、先発は11人と決まっている中で、30数人が競争しながらみんなで戦っている。試合に絡めずに落ち込んでいる選手を引っ張り上げるとかいう作業は、チームが機能するためにやらなきゃいけない。声をかけるのか見守るのか、声をかけるならどのタイミングなのか、考えながらやっています」
――中野さんも、苦しいときに声かけてもらったことがあって?
「ジュビロのころは山田大記選手に、すごく面倒を見てもらいました。なかなか試合に絡めないときとか、ちょっと気持ちが折れそうになるときとか、声をかけてもらっていました」
――プレーについてもお聞きします。開幕節でさっそくゴールを決めました。
「ゴール前にいる時間が増えていて、やるべきこともはっきりしている。自分を出しやすい状況になっているので、あとは結果にこだわらないといけない。そこはホントに突き詰めて、突き詰めて、やり続けるしかない。一発で決め切れる力をつけていかないと」
――杉本健勇選手との縦関係はいいですね。
「健勇くんのプレーを以前からすごく見ているわけじゃないですけど、ゴールも取れるしパスも出せる役割が、今の健勇くんにはベストなのかなと思います。僕自身もすごくやりやすい。1トップの選手が前で起点になったり、裏へ抜け出したりすることで、健勇くんがフリーになれば、相手はかなり難しくなる。藤井(一志)もすごく頑張っていますし、ここからはクバ(シュヴィルツォク)とかトミくん(富山貴光)もケガから帰ってきて、競争がさらに激しくなると思うので、僕自身もホントに結果にこだわっていきます」
柔軟性のトレーニングを取り入れる
――キャリアを重ねてきたことで、体のケアの仕方などは変わってきていますか?
「体のケアとかメンテナンスの仕方は、どんどん進歩しています。アンテナを働かせて情報を集めながら、『ここの張りがあったときはここをほぐしたらいい』というのは、経験を重ねて分かってきています。プレシーズンの準備段階では、これまで筋トレなどを重視してやってましたけど、そこにちょっと柔軟性を入れたくて、ピラティスの要素を入れたりしています」
――柔軟性を入れたのはなぜ?
「プロ2年目に前十字靭帯損傷のケガを負って、復帰後もその影響で逆足のヒザがおかしくなったりとか、いろいろな張りが出たりとか、柔軟性が悪くなったりしたんです。そのときにまず筋力が足りないということで、個別のパーソナルトレーニングで筋トレをガッツリ入れて。筋力はもうケガをする前以上になっているので、ここからは柔軟性も高めようと」
――プロ2年目の2019年に左ひざ前十字靭帯損傷で全治6カ月と診断され、実際には復帰まで276日かかりました。でも、翌2020年も33試合に出場していますね?
「2019年10月から離脱したんですけど、2020年はコロナでリーグ戦が中断したじゃないですか?」
――ああっ、そうでした。
「なので、6月末のリーグ戦再開後すぐに、復帰できたんです。逆に出場できたがゆえに、中2日とか中3日の連戦をずっと戦っていって、本当にヒザが痛かったんですよ。治り切ってないヒザで戦い抜いたので。でも、休むという選択肢はなかった。もう一度あの状況に戻っても、絶対にやります」
――試合に出られるチャンスがあるなら、出る?
「出ますね。もし痛くても。そこに後悔はないですけれど、今思い返しても大変な状況でした」
――リハビリも大変だったのでは?
「キツかったですね。朝起きてクラブハウスに行くのが苦痛でした。でも、ケガをしたときにアルビレックス新潟の早川史哉くんから連絡をもらったんです」
――筑波大学の先輩ですね。白血病を克服して現役を続けています。
「史哉くんの大変さに比べたら全然です、わざわざすみません、みたいな話をしたら、大変さは人それぞれだよと。苦しければ苦しいって言えばいいし、泣きたければ泣けばいい、みたいなことを言ってもらえたんです。すごく考えさせられて、僕自身もケガをしている選手との接し方に注意しなきゃ、と思うようになりました」
――具体的にどういうことですか?
「ケガの種類が同じで、離脱期間が同じぐらいでも、その選手が置かれている状況は違う。プロ何年目なのか。それまでの経歴はどうなのか。監督からの信頼感は。そういう違いがあって、不安要素は人それぞれなので、同じケガをしたことがあっても、『分かるよ』っていう感じで接するのは違うかなって思うんです」
――なるほど……。復帰後の状況も違いますしね。
「僕自身、ケガが治ってピッチに立ってるけど、左足を踏み込むのも限界みたいなときがあったし。左足をかばって右足がおかしくなったこともあるし。でも、ピッチに立った以上はそんなの言い訳に過ぎないので、その中でどうやっていくかとかは、その都度すごく考えました。正解が見えない中で戦っていくのはホントに大変で、いろいろな人にもどうしたらいいか聞きましたし、ケアのためにいろいろなところへも行きました」
メスの傷跡は乗り越えた証
――今はもう、不安なくピッチに立てている?
「はい、不安なくできています」
――これからさらに体は良くなっていく?
「そうだと思ってます。メンタルも体も、落ちているとか思ったら本当にそうなっていくので。良くなっていく、良くなっていくと思いながら取り組んでます」
――苦しい思いを乗り越えてきたからこそ、ピッチ上でがんばれるのでしょうね。あと一歩が踏み出せる、というか。
「あのときの苦しい自分がいて今がある、と思うときはありますよ。ヒザにはメスの跡が残っていて、それを見たときに『ああ、あのとききつかったよな、それに比べたらな』って思ったり。ふいにこう、目に入ってくることがあって」
――何かこう、自分を見直すべき瞬間に、目に入るのかもしれませんね。
「たまに、あるんですよ。何か分からないですけど、自分に伝えたいものがあるんだろうなと思って。だから、この傷跡があって良かったなって思うときもあるし、苦しいときにがんばろうとか、一歩奮い立たしてくれるので、傷跡が消えないで良かったなと思っています」
――ううん、すごいですね。すごい。プロのすごさです。
「僕だけじゃなくて、選手はみんな大変な思いをしているはずです。自分が特別なわけじゃないですけど、ケガも含めていろいろな経験をしてきたことで、精神的なブレは少なくなってきていると感じます。プロ選手だからいろいろな感情が芽生えるのが当然で、それがなくなったらやめたほうがいいと思っていて。淡々とやるだけがすべてじゃないし、ときには思いっきり感情を出すのも大事ですし。でも、一つ冷静になれよって気づくことは、多くなったかなと思いますね」
――マイナスの感情を、引きずることはなくなった?
「試合でも練習でも落ち込んだり、悔しいと感じることはありますけど、翌日まで持ち越すとかはなくなってきたかな、と」
――中野さんのプロとしてのストーリーに触れて、あらためてがんばってほしいと感じました。このインタビューを読んだファン・サポーターの皆さんも、きっとそういう気持ちになるのだろうと思います。
「選手にはそれぞれストーリーがあると思うので、それを聞いてもらって、応援したいと感じてくれたら、僕もすごくうれしいです。チームとして優勝だけに向かって突き進んでいくので、これからも変わらぬ声援をよろしくお願いします」