【聞きたい放題】浦上仁騎「『雑草魂』という意識は、あのとき芽生えたんです」

選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回はアカデミー出身で、2011年に大宮アルディージャユースを卒業して以来、久しぶりにオレンジのユニフォームに袖を通す浦上仁騎選手に話を聞きました。

聞き手=粕川 哲男

「『雑草魂』という意識は、あのとき芽生えたんです」


納得のトップ不昇格

――「おかえりなさい」で、いいですよね。
「いやぁ、そうですね。ありがとうございます」

――今日は2009年版のイヤーブックを持ってきてみました。14年前、浦上選手が初めて大宮アルディージャに加入した、Jr.ユース1年目のときのものです。
「あぁ、懐かしいなぁ。憧れの選手がメッシ……あり得ない()

――ユースからトップチームに昇格できないとわかった瞬間から、「必ず戻ってくる」と心に決めていたと聞きました。
「ユースのとき、もちろんトップチームに上がりたいという思いはありましたが、自分の能力を客観的に見たときに、厳しいな、ということは自分でも理解していました。だから、トップ昇格が叶わなかったときもすんなり受け入れることができたんです。大学を経て、その先どこかのチームで経験を積んで、いつか必ず大宮の力になれるように頑張りたいと、ずっと思ってきました」

――ダメ出しをされたクラブにネガティブな感情を抱くことはありませんでしたか?
「僕は、トップに上がれそうで上がれなかった選手じゃないんです。高校3年生ながらも自分がプロに行くレベルに達していないことは理解していたので、『それはそうだよな』という感じで。だから、見返そうなんて気持ちは全然なくて、もっともっと力をつけて、大宮というクラブに必要とされる選手になりたいという気持ちのほうが強かったですね」

――大宮で成長した、育ててもらったという思いが強かったからですか?
「それは間違いありません。僕は茨城県出身。ジュニアユースのときから大宮に入らせてもらったんですが、それまでは完全に天狗でした。それが、周りのレベルの高さに衝撃を受けて、下から数えた方が早いくらい下手だと気づきました。上には上がいると感じたし、『これは本当に頑張らないと厳しいぞ』と焦りました。いまの僕の軸になっている『雑草魂』という意識は、あのとき芽生えたんです。必ず這い上がってやるって。そこから6年間、僕はフットボールに関して本当にたくさんのことを教わり、人間性も磨いてもらいました。今の自分があるのは、間違いなくあの6年間があったから。大宮に対して恩返しがしたいという気持ちは、どのクラブにいるときも常に持っていました」

――古河時代は無敵だったわけですか?
「そうですね、小学生なんで()。自分が一番上手いと思っていましたし、そのノリで大宮のセレクションを受けて、受かったから当然いけると思って参加したら、初っ端からレベルの高さに打ちのめされました。正直、毎日の練習についていくだけで必死でした。つらくて、苦しくて……。だから、ただ上手くなりたい、強くなりたい、這い上がりたいという一心でした」

――アカデミー時代で覚えていることは?
「僕は、本当にたくさん怒られたし、叱られてきたので。思い出ですか、難しいですね。伊藤彰監督にはたくさんお世話になりましたし、中村順さんにも本当に指導されました。練習にまぜてもらえず、みんながボールを蹴っている脇をずっと走っているようなこともありましたから。とにかく、厳しいなかで頑張った記憶しかないですね。いま、パッと思い浮かぶ楽しいエピソードが、一切ないんですから」

――それでも食らいついて、なんとかやり切れた原動力は?
「自分が少しずつだけど上手くなっている感覚、この前はめっちゃ難しかったことなのに、少しできるようになったという感触があったからです。このクラブにいれば成長できる。そう感じていました」

 

ACLにも勝った大宮への思い

――今回の移籍に関して伺います。昨季はヴァンフォーレ甲府でJ2リーグ全試合に出場、天皇杯で優勝。今季はタイトル獲得を意味する星付きのユニフォームでJ1昇格を狙うとか、ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)で活躍するといった選択もあったかと思います。それらと天秤にかけても、大宮でプレーしたい気持ちの方が強かったわけですか。
「はい。本当に、人生で一番くらい悩みました。年齢を含め、甲府での立ち位置のようなものも見えていたので。だから甲府に残るって決めたつもりが、大宮への思いがなかなか消えなくて……。たくさんの人に相談して、いろいろな言葉をもらいました。でも最後は自分がしたいように、自分の意志を尊重しようとは思っていたんです。そんななか大宮への思いがずっと消えず、移籍しないと後悔すると感じ、自然と『これは俺、移籍するな』と傾き始めたんです。僕のこれまでの人生を振り返っても、選んだ道が正解かどうかなんて誰にも分からない。ただ自分で決めたからには、その道を正解にするために努力するだけという感じで進んできたので、今回も同じようにしようって。自分がしたいように、自分の意志を感じ取って決めればいいと結論づけて、移籍を決断しました」

――相談したのは、アカデミー時代の同期である小島(幹敏)選手とかですか?
「小島にも相談しました。でも、あいつはマイペースだし、ああいう感じなので『一緒にやろうよ』なんて言葉はありませんでした。『大宮はこんな感じだよ』って教えてくれたくらいですね。ひとつ上の大山(啓輔)選手もずっと仲良くさせてもらっていて、親身に話を聞いてくれたうえで、『今の大宮にお前が来てくれたら面白い』と言ってくれました。ただ、それはあくまでも彼らの意見なので、最後は僕自身の、大宮のためにプレーしたい、大宮とともに強くなりたい、いいクラブにしたいという気持ちに従いました」

――とはいえ、ここ数年チームの状態は決して良くなく、同期だった小野雅史選手もこのオフにモンテディオ山形へ移籍しました。
「僕の場合、誰かがいるからチームを選ぶっていう基準はありません。アカデミー時代の同期がいるから行くとかって気持ちは、全然ないんです。ただ、ひとつ感じていることは、このクラブは、このクラブの血が流れている選手が先頭に立って戦うべきだということ。大宮を、より良いクラブにしたいという選手がいない限り変わらないというか……。僕は何かを変えられるほどのすごいプレーヤーじゃないですけど、大宮と一緒に強くなりたい、大宮をより良いクラブにしたいという思いは強く持っています。僕には間違いなく大宮の血が流れていますし、本気でJ2優勝したい、J1昇格したいと思っています。大宮というクラブのために、ギラギラとした闘志を前面に出す気持ちは誰にも負けません」

――やはり、長く低迷している難しい状況で求めるべき選手というのは、クラブのために本気で闘える選手だと思います。
「僕も、そう思います。クラブのためにって思いは絶対に大事。僕は昨季、甲府で天皇杯優勝という成功体験をしました。あのとき気づいたんです。あのときの甲府は選手全員がチームのために、甲府のために、山梨県のために、という気持ちでプレーしていました。だからこそ優勝できた。あのときと同じことを、大宮というクラブでも実現したいんです。僕が持っている火を少しでも周りに飛び火させたいと思っていますし、同じ思いを持った選手を少しでも増やして、大きなベクトルにできたらと考えています」

――浦上選手のキャッチフレーズでもある「雑草魂」に、通じる姿勢ですね。
「実際に使い始めたのは……プロ1年目の長野のときかな。でも、中学生の頃からずっとその気持ちがあって、常に這い上がろうという意識でした。このままじゃダメだって思いが常にあって、いつも危機感を抱いていました」

――向上心や危機感。まさにいまのチームに必要なところだと思います。
「僕も、大宮がいるべき場所はJ1だ、とか、ここにいるべきクラブじゃないという思いは、もちろんあります。ただ、その一方で現実は受け入れないといけない。ここ数年の成績を見ても、あの頃の大宮じゃないというのは否定できない事実だと思います。だから現実をしっかり受け入れて、ゼロからじゃないですけど、這い上がる『チャレンジャー』という言葉には、すごく共感しています。死ぬ気でJ2優勝を目指さないと。何かうまいことして勝てるチームではない。ひとつのボールに対して、必死に、がむしゃらに戦う、そういう姿勢のなかで初めて戦術が生まれ、クオリティが上がっていくと思う。そういう意味でも、僕は日々の練習から、11日ハングリーさを出していきたいと思っています」

必要なのは勝利を届けること

――個人的には、どのようなプレーを見せたいですか?
「まず、僕の特長はビルドアップ、ロングフィード、コーチング、統率力だと思います。移籍してきたばかりですが、遠慮なんかせず、自分の持ち味をガンガン出していきます。周りの選手を動かしながらの守備だけでなく、攻撃の起点となるようなプレーにも、ぜひ注目してください。僕自身、攻守で仲間を助けられるところが良さだと自覚しています」

――NACK5スタジアム大宮でのプレーが楽しみですね。
「あの舞台、あのピッチに立てると思うと、いまから興奮が止まりません。ただ、ピッチに立つことが目標ではないので。たくさんの応援に満足することなく、たくさんの勝利を、ファン・サポーターの皆さんと分かち合うことを目指します」

――最後にファン・サポーターの皆さんへメッセージを、お願いします。
「本当に勝ちたい、本当にJ1に行きたいからこそ厳しい声とか横断幕になることは、僕も理解しています。ただ、ファン・サポーターの皆さんを含めてチームがひとつになること、そこは絶対に外しちゃいけないポイントだと思います。シーズン中は、良いときもあれば悪いときも必ずあると思います。ただ、どんなときもポジティブな姿勢を忘れず、自分を見つめ直しながら頑張るというのは、人生においても一緒じゃないかなって。そうやって進んでいけば必ず光が見えてくると、僕は信じています。2023シーズン、僕を含めた選手全員が全力で戦うことを約束しますので、最初から最後まで、どんなときも一緒に戦ってくれたら、すごくうれしいです」

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