【ライターコラム「春夏秋橙」】選手や監督から絶対の信頼を置かれていた “ヘッドコーチ”長澤徹

ピッチで戦う選手やスタッフの素顔や魅力を、アルディージャを“定点観測”する記者の視点でお届けする本コーナー。今回は2021-2023シーズンを過ごした京都サンガF.C.時代の長澤徹“ヘッドコーチ”を、京都の番記者に執筆してもらいました。

【ライターコラム「春夏秋橙」】雨堤 俊祐
選手や監督から絶対の信頼を置かれていた “ヘッドコーチ”長澤徹


裏方に徹するという矜持を貫いた3年間

京都での3年間を、徹さんはヘッドコーチとして過ごした。2021年に曺貴裁監督とともにクラブに加わり、生まれ故郷で再起を図る指揮官を、ときに頼れる右腕として、ときに同い年の盟友として支えてきた。

そうした絆が監督との間にあり、かつヘッドコーチという最も近い立場だったが、トレーニングやゲームでは監督と一定の距離を保っていた印象がある。公式戦でベンチに入って指揮官の横に座るのは杉山弘一コーチで、長澤ヘッドコーチはメインスタンド上段から分析担当とともにゲームを俯瞰して見ていた。ハーフタイムになるとロッカールームへ下りて監督や選手に必要なことを伝え、後半になるとまたスタンドへ上がっていくのが恒例だった。

サンガタウン(練習場)でもトレーニング中は、少し離れた位置に構えることが多かった。もちろん練習後やクラブハウスの中では密にコミュニケーションを取っているのだが、監督とは違う視点で物事を見て、ときに異なる意見を出すというヘッドコーチの役割を遂行しているように見えた。

3年間でメディアが話を聞ける機会はほとんどなかった。唯一の機会は曺監督が新型コロナウイルス陽性となってチームを離れた際に、代理としてオンライン取材に対応したときだけ。取材陣がヘッドコーチの視点でコメントを求めても「自分は前に出る立場じゃないから」、「()貴裁に聞いてやって」とガードは固かった。

一度、粘り強く交渉したときに、その理由を少し話してくれた。戦国時代の豊臣秀吉と黒田官兵衛を例えに出して「黒田官兵衛が軍師として裏方に徹していたから、豊臣政権はうまく回っていたんだ」。秀吉が年老いた晩年、官兵衛が表舞台への影響力を強めるのではないかという噂が立つやいなや、官兵衛は第一線を退いたという一説もあるそうで、そこに“副官・長澤徹”の矜持があるのだと感じた。

 

徹さんを慕う選手たちの言葉

こうした理由で、長澤ヘッドコーチの言葉は取材ノートに残っていないが、指導する姿を見ていれば言葉なくともその人柄は伝わってきた。最も印象に残っているのは全体トレーニングを終えた後の光景だ。選手各々がクールダウンや自主練習などを行う中、誰かしら選手が長澤のもとで話をしたり、居残り練習を一緒に行っている風景はサンガタウンの日常だった。青空のもとでピッチに座り込み、ヒザを突き合わせながら理論的な話やサッカー談義に花を咲かせる日があれば、ゴール前の“シュートを打たれるか、打たせないか”というバチバチのシチュエーションを何度も何度も繰り返す熱血指導もあった。

当時、大卒ルーキーだった福田心之助はシーズン後半戦に右SBのレギュラーの座をつかんだが、前半戦は苦しい時期を過ごした。「あのころは本当に徹さんに助けられました。口数はあまり多くないんだけど、ポッと出てくる一言がすごく自分たちに刺さるんです」。

福田は開幕戦でスタメンに抜擢されるも、相手に狙い撃ちされて交代に追い込まれるというプロの洗礼を浴びた。「何もできなくて、そこから試合に出れなくなったときに徹さんと話す機会があったんです。そのときに『これまでのサッカー人生は、どうだったんだ?』と聞かれました」。プロになるまで順風満帆ではなく、エリート街道とは程遠い道を歩んできた。「それを話し終えた後に『それが答えなんじゃないか』と言われてハッとしました。プロになって何かが変わったわけじゃない。サッカーをやる中でまた挫折しただけで、あとは乗り越えるしかないんですよね。それって自分の中で分かっていそうで、分かっていなかった。あの言葉は今でも覚えているし、この先に何かうまくいかくなっても一喜一憂することなく、前を向けるはずです。そんなふうに選手を見て、理解してくれることが徹さんのすごいところだと思います」

プロの洗礼を浴びた福田心之助は長澤ヘッドコーチの言葉に救われたという

塚川孝輝は大卒で加入したファジアーノ岡山で、長澤監督の指導を受けた。「真っ直ぐというか、裏表がなくて選手やチームのことを第一に考えてくれる人。僕にとって、人生において大切な人です」と信頼を寄せる。

「自分がダメだったときに声をかけてくれるし、それを全員にしていたと思う。常に見てくれている。サッカーに関しては攻守に走る、全員攻撃・全員守備で誰一人サボらないチームでした。基本的なことを突き詰める、なあなあにしない。今でも覚えているのが練習で『ハーフコートのゲーム形式で、得点が入ったら終わり』というメニューがあったんですけれど、なかなか得点が入らないんです。でも徹さんは言ったことは必ずやるので、その時は45分間くらいハーフコートのゲームが続いたんです。普通の練習の中で、ですよ。そういう貫きとおす姿勢は選手にも伝わっていました。チームとしてもやりきることや、ミスしてもすぐ切り替えて次のプレーに向かうことが徹底されていました」

岡山時代に指導を受け今季から京都に加わった塚川孝輝も徹さんに信頼を寄せる選手の一人だ

武田将平も同学年の塚川とともに、長澤監督のもとでプロのキャリアをスタートさせた。「岡山ではプロ選手として生きていく上で大切なことを教わったし、ブレずにやるという教えがあったから自分はここまでやれています。試合には使ってもらえなかったけれど、最初の監督が徹さんで本当に良かった」と振り返る。

そして「心の中を見抜いてくる人でした。少し行き詰っているときや考えているときに、それをズバッと当てられる」とも話していた。サッカーの部分では「原理原則、本質のところをすごく求められました。メンタリティやハードワークのところは強調されていましたね」。武田はプロ3年目から出場機会をつかんでJ1への道を切り開いていったが、その源は長澤監督のもとで培われている。


徹さんの指導を受けて成長しJ1への道を切り開いた武田将平

他にも「指導者としてだけでなく人間としても、あの人に代わる存在はない。一緒にサッカーができたことは自分の人生の宝物です。大宮の方々も一緒にやっていく中で、感じるものがあると思います」(豊川雄太)、「その人や状況にあわせて声をかけてくれるし、一つひとつの言葉に重みがある。徹さんがいなければ、僕はここまで成長できていないと思う」(谷内田哲平)など、多くの選手が長澤徹という指導者の存在の大きさを語っていた。

 

盟友・曺貴裁監督が寄せる絶対的信頼

最後に曺貴裁監督の言葉を紹介したい。「なぜ指導者を志すのか、選手にどうなってほしいのかなど、根本の考え方が同じだった。方法の相違があったとしても、目指すところは同じだから、彼のやることを確認したりはしなかったね。もし徹が監督で、俺がコーチでもやれる。自分たちで段階を作りながら、そこへの賛同を集めながら、一緒にチームを強くしていった。徹を信じて選手がやれば、強くなると思いますよ。それを求められて、彼も決断したんだろうから」と盟友との別れを惜しみながら、エールを送っている。


曺貴裁監督が長澤ヘッドコーチに寄せる信頼は厚い

以上が京都における“長澤徹ヘッドコーチ”としての足跡だ。表に出ることはほとんどなかったが、影のキーマンとして個人やチームの成長をうながし、J1昇格やJ1残留のために尽力してくれた。

大宮では“長澤徹監督”として、コーチとは異なる立場でチームを率いる。この取材を進める中で京都の選手とも話題になったのだが、監督としてどんなチームを作り上げるのか、非常に興味深い。そして、徹さんなら過酷なJ3を戦い抜くタフなチームで、1年でのJ2復帰へまい進するのではないかという期待がある。京都での3年間に感謝と敬意を表して、大宮での新たな挑戦が実りあるものとなることを願っている。

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