【特別掲載 第4回】大宮アルディージャ 創立20周年記念誌 巻頭コラム
大宮。愛を紡いで20余年

サッカーのある日常が、かけがえのない日々だと感じる今だからこそ、大宮アルディージャのある風景が日常になったこの20年余年を振り返る本企画。第3回ではJ1の戦いで揉まれる日々を振り返った。そして最終回。これまでクラブが積み上げてきた、“目に見えない大切なもの”とはいったい何なのか――。

※文中敬称略。役職などは2018年の発行当時のものです。

<第4回>

受け継がれるクラブの伝統

アルディージャらしいキャリアの持ち主として、片岡洋介をあげておきたい。埼玉県の西武台高校から国士舘大学へ進学した守備のマルチタレントは、05年にアルディージャに加入した。09年まで5年間在籍したのちに京都サンガF.C.へ新天地を求めるが、1年後に再びアルディージャへ復帰する。

一度は移籍した選手が古巣へ戻るのは、珍しいことではない。ただ、その多くは海外移籍を経て前所属に戻るケースで、日本国内での古巣復帰は少数派に属する。それも、1年での帰還である。選手との関係が大切にするアルディージャだからこそ、片岡は戻ってくることができたのだろう。

クラブのそうした姿勢は、選手の忠誠心を太く強くする。復帰した片岡はこう話した。

「自分勝手に出て行って、京都がJ2へ落ちたから、また戻ってきた。そう思っている人もたくさんいるかもしれない。でも、そんな僕を温かく迎え入れてくれた人もたくさんいました。申し訳ないことをしてしまったという気持ちは常にあって、僕は恩返しをしなきゃいけないんです。クラブも、ファン・サポーターも、もう一度僕を受け入れてくれたのですから」


サポーターに愛された片岡洋介。ガイナーレ鳥取に移籍後の凱旋試合で、ゴール裏に挨拶をした際に涙ぐむ場面も

その片岡も出場した18年9月のクラブ創立20周年記念OBマッチは、アルディージャが積み上げてきたものをあらためて確認する機会となった。

浦和OBとの一戦には、世代を超えた38人のOBが集まった。同じ時代にプレーした選手ばかりではないから、サッカーがギクシャクとしてもおかしくない。真剣勝負では見られないユーモラスなミスが観衆の心をほぐすのが、こういった試合での面白さでもある。

アルディージャの選手たちは違うのだ。同じ時代にプレーした選手はもちろん、現役時代が重なっていない選手も、周囲とのコンビネーションを鮮やかなほどに成立させていった。現役当時と異なるポジションでプレーした選手も、まったくと言っていいほど違和感がない。

[4-4-2]のオーガナイズは、石井正忠監督が束ねる18年のチームを見るようだった。ポジションごとの役割がはっきりとしており、それが時代によって変わることがないので、誰もが迷うことなくプレーできたのだろう。

01年から05年まで在籍したストライカーの横山聡は、浦和OBの選手から「練習したの?」と聞かれたという。実際は練習時間など確保できず、試合前に綿密にミーティングをしたわけでもない。リラックスしたムードでキックオフを迎えたが、一人ひとりの体に刻まれた遺伝子が、時を超えてイメージの共有につながったのだ。

試合を終えた横山は、「アルディージャでプレーした選手同士なので、やっぱり分かり合えるものがあるんでしょうね」と笑みをこぼした。現役当時と同じボランチで存在感を発揮した斉藤も、「アルディージャの伝統というか、しっかりしたオーガナイズだったり、ボールを動かすことであったりといった歴史を、ピッチの中で感じることができました」と話した。

2-1で勝利を飾ったOBマッチには、アカデミーで後進の指導に当たっているスタッフも多く含まれていた。ユース監督の丹野友輔、Jr.ユース監督の岡本、同コーチの森田浩史、島田裕介、育成コーチの橋本早十、育成GKコーチの荒谷弘樹と江角浩司らだ。さらに、U-12コーチとしても多数のOB選手が日々、普及の現場で活躍している。彼らの中には他クラブで現役を終えた選手もいるが、引退後はこうしてアルディージャに戻ってきている。


クラブ創立20周年記念事業の一環として開催されたOBマッチ。往年の名選手たちが聖地に集結した

GMを務めていた当時の清雲は、「現役を終えた選手が指導者になることで、クラブのスタイルを継承していくようにしたい。他クラブへ移籍した選手も、指導者として帰ってくるような未来図を描いている」と話していた。

アルディージャが大切にしてきたものを知る彼らが、今度は指導者として未来のJリーガーを育てていく。クラブ創立当時の構想は、12年限りで清雲がクラブを離れても息づいており、10年後、20年後にアルディージャを支える選手を生み出していくのだろう。


クラブが持つ可能性

ピッチ外へ目を移すと、08年に発足したアルディージャビジネスクラブ(ABC)に触れたくなる。クラブとパートナー企業の絆をさらに深くし、クラブパートナー同士の相互理解と連帯感を高め、かつ親睦と交流を図りながら、それぞれの事業の広がりにつなげることを目的としたものだ。

ABCの立ち上げには、清雲が尽力している。03年を最後にGMとしての仕事を終えた彼は、04年から12年までトータルアドバイザーとしてクラブを支えた。

「オランダのフェイエノールトを視察したら、ナショナルカンパニーと呼ばれる大企業以外に、ホームタウンのあるロッテルダムに根づいた400もの企業がビジネスクラブを作ってサポートしていた。これだ、と思いましたね。すでに後援会があるじゃないかという指摘もありましたが、アルディージャを通じてスポンサーの皆さんの結びつきが深まり、新規のビジネスにつながったりすることは、プロサッカークラブが提供できる価値の一つですから」

18年12月現在で、ABCには105社が加盟している。18年にはシーズン開幕前の宮崎キャンプの視察、企業間のマッチングを目的としたビジネスサロン、フットサル交流会やアウェイ視察研修ツアーなどが開催された。

アルディージャが立ち上げられた当時に、ABCのような組織を想像するのは難しかっただろう。Jリーグが設立当初に掲げた地域貢献や地域密着を置き去りにすることなく、アルディージャは歩み続けてきたのだ。


目に見えない大切なもの

クラブ創立20周年は節目の一つだが、あくまでも通過点に過ぎない。アルディージャの歴史は、これからも続いていく。

「クラブとしての規模も大きくなって、実力もつけていってほしいですね。J1に復帰して優勝争いをするぐらいになって、何年かに一度はアジアチャンピオンズリーグに出場するような」

18年現在もさいたま市サッカー協会理事長、アルディージャ後援会常任理事などの要職を兼任する松沢は、大きな夢をクラブに託す。19シーズンもJ2リーグで戦うことになったアルディージャは、J1優勝やACL出場よりもまず、J1復帰を勝ち取らなければならない。それでも、20年前は描けなかった夢を抱くことはできる。

「後援会としては、これからどういうことをやっていくべきなのか。どういった形で、クラブを支えていくべきなのか。20年かけて出来上がってきたものもたくさんありますから、そういうことを考える時期に来ているのかな、と感じています」

未来を展望しつつも、小さな積み重ねをおろそかにはしない。ホームゲーム開催を告知するチラシ配りには、今でも参加している。

「何でやっているのか、ですか? 特別な理由はありませんね。純粋に地元への愛着から、です。アルディージャがあるから応援したい。本当にそれだけなんですね」

特別なものではなく、ただ純粋に。真っ直ぐな思いは、だからこそ、揺らぎがない。チームが勝っても、負けても、晴れの日も、雨の日も。松沢は同じ志を抱く知己とともに、アルディージャをさりげなく、それでいて力強く支えていく。

「チームの結果によって、サポーターも増えたり減ったりする。それはもう、仕方のないことだと思うんです。J1に昇格すれば増えるだろうし、J2のままでは減ってしまうかもしれないし」


現在も後援会常任理事を務める松沢氏

森がコールリーダーを退いて、5年以上が経つ。18年は仕事が忙しく、NACK5スタジアム大宮に行く機会が限られてしまった。だからといって、彼の心がアルディージャから離れることはない。

「ゴール裏で応援している人たちだけじゃなく、メインスタンドやバックスタンドでずっと見てきている人たちも、たくさんいるんです。そういう人たちを大切にして、たくさんの人たちがずっと好きでいられるクラブであってほしいな、と思うんです。息の長いファンがたくさんいるクラブに」

試合を終えた監督と選手は、ファン・サポーターへの感謝を口にする。彼らは知っているのだ。改修工事を経て07年終盤からNACK5スタジアム大宮に名称を変えた“聖地”が、観衆で埋め尽くされる価値を。ホームのアドバンテージを。

試合だけではない。トレーニング場に足を運んでくれるファン・サポーターの支えがあるから、自分たちはピッチで最高のパフォーマンスを発揮することができると。

金澤はこう言っている。

「ファン・サポーターの皆さんに、試合だけでなく普段から常に見守ってもらっていると実感できるのは、非常にありがたいことだと思っています。試合に出ていなくても、『頑張ってね』とか『応援しているよ』といった言葉をかけてもらえるのは、長くやってきたからこそ当たり前のことではないと感じるようになってきました」

18年11月25日のJ1参入プレーオフ1回戦で、アルディージャは東京Vに0-1で敗れた。チームは翌26日から1週間のオフを取ることになった。

敗戦から4日後の11月29日午前、西大宮のグラウンドに選手がいた。20年以上クラブを支え続ける和田哲治チーフトレーナーと一緒に走り、ボールを使ったトレーニングをしている。

金澤だった。18年の彼は、公式戦に1試合も出場できなかった。プロ17年目のシーズンで初めてのことである。4月にケガをした影響もあったとはいえ、ピッチに立てない歯痒さはどれほどのものだっただろう。

「クラブの核になっている精神的な部分が、正直なところ最近は少し薄まってきてしまったと感じている中で、まずは自分自身がひたむきにプレーすることや、積極的に声を出すことを意識して取り組んできたつもりです。ただ、周りの選手にうまく伝えられたのか、本当の意味で全員が同じ気持ちで戦えたのか、自信を持って言い切れない面があるのも事実です」

クラブ創立21年目となる19シーズンは、何かの節目の一年ではない。そうだとしても、無為に過ごしていいはずはない。クラブの歴史においては、どの一年も等しく重みを持つ。

「環境にも恵まれ、スタジアムの雰囲気も良い。おかげさまでファン・サポーターの方の数も、昔より増えたと思います。これから『大宮アルディージャと言えばコレ』というものを築き上げて、もっともっと強いクラブになっていきたい。地域の皆さんにとって、大宮アルディージャの存在が日常に溶け込んで当たり前になっていくことが理想です。チームとしては一体感を持ち、チームのために戦う選手が数多く在籍することで、クラブの魅力が高まっていくと思います」

フィールドプレーヤーではチーム最年長の35歳であり、クラブの生え抜きとしてリスペクトを集める金澤は、自らの迷いを吹っ切るようにゆっくりと、黙々と、走り続けた。ものを言わない背中が、ピッチを踏みしめる足音が、21年目のシーズンの到来を告げていた。

戸塚 啓(とつか けい)
1991年から1998年までサッカー専門誌の編集部に所属し、同年途中よりフリーライターとして活動。2002年から大宮アルディージャのオフィシャルライターを務める。取材規制のあった2011年の北朝鮮戦などを除き、1990年4月から日本代表の国際Aマッチの取材を続けている。

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